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第63回 野球人の評価とは?――野球殿堂入りを逃した巨人の四番

 

 野球殿堂博物館は1月23日、2015年の野球殿堂入りを発表し、競技者表彰のプレーヤー部門で元ヤクルト古田敦也氏が選ばれた。古田氏は当選必要数を6票上回る255票を獲得。巨人のエースとして活躍した斎藤雅樹氏(現巨人投手コーチ)が3票及ばない246票で次点となり、続いて巨人の四番打者としてチームを引っ張った原辰徳氏(現巨人監督)が6票足りない243票に終わった。

 プレーヤー部門は、プロ野球を引退してから5年が経過して15年間の者が対象。30人以内の候補者の中から、野球報道15年以上の経験を持つ委員の投票により決定する。古田氏はプロ2年目で史上2人目となる捕手としての首位打者に輝いたのをはじめ、05年には大学、社会人を経た選手としては初の通算2000安打を達成。「まさか自分がこのようなところに入れるとは思わなかった」と語った古田氏だが、どこからも異論はないだろう。

 一方、発表前から注目されていたのが、原監督の殿堂入りだった。昨年196票(当選必要投票数243票)で次点に終わり、今年の“最有力候補”と目されていた。知名度も人気も抜群で、プレーヤー部門の資格は最終年。「意外だった」という声も多い。

 原監督は現役時代、1981年に新人王を獲得したが、いわゆる打者3冠の「打率、本塁打、打点」でのタイトルは、83年の打点王(103)1度だけ。通算15年で打率.279、1093打点、382本塁打と、数字だけ見ると突出してはいない。4年前、当時中日監督を務めていた落合博満氏(現中日GM)が殿堂入りしたとき、監督として3度のリーグ優勝や日本一達成を挙げていた同氏は「選手として選ばれたと思っている」とプライドをにじませ、監督の評価は別物であることを強調した。

 純粋に数字で選ぶという鉄則を守ろうとしたのならば、原監督が今回選ばれなかったことは、ある意味妥当だったのだろう。「原監督のプレーヤーとしての殿堂入りはいかがなものか」という意見もあったが、簡単には断じられない。不世出のスーパースターだった「ON」が引退した後、次世代の“顔”として球界を引っ張っていくという重荷を背負わされた背景もある。半端ではないプレッシャーの中、80〜90年代の人気チームを不動の四番として支えたという無形の貢献度を考えると、プレーヤーとしての殿堂入りも決して不思議ではなかった。

▲現役時代、巨人の四番を張った原。球界への貢献度を考えればプレーヤー部門で野球殿堂入りしてもおかしくなかった[写真=BBM]



 原監督が最も輝いたのは、指揮官として、だ。昨年までのリーグ優勝7度、日本一3度、セ、パ両リーグ交流戦2度優勝の戦歴は、近年ではまれに見る実績と言える。分厚い戦力が与えられているとはいえ、使いこなせなかった監督は過去に数え切れないほどいる。夏の全国高校野球選手権で2回優勝した名監督で、昨年5月に他界した実父、貢氏の薫陶を受け、戦術の妙や選手のやる気を引き出す手腕には卓越したものがある。

 これで、原監督の殿堂入りへの道が閉ざされたわけではない。競技者表彰は、プレーヤー部門だけではない。現役を引退した監督、コーチで、引退後6カ月以上経過した者が対象となるエキスパート部門(野球報道年数30年以上の経験を持つ委員で選出)が設定されている。指導者としてのキャリアを終えた後、原監督には物議を醸すこともない、野球人としての真の評価が待っているはずだ。
日本球界の未来を考える

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週刊ベースボール編集部による日本球界への提言コラム。

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