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「プロ野球チームをつくろう!」のスペシャル対談の第2弾は、元盗塁王のお二人が登場。1983年にシーズン76盗塁のセ・リーグ記録を残した松本匡史氏(元巨人)と、92年の盗塁王・飯田哲也氏(元ヤクルト楽天)。一番打者、外野コンバートなど共通点も多いお二方に、盗塁、走塁、そして守備などの奥深いお話を語っていただいた。
スペシャル対談第1弾 梨田昌孝×大石大二郎こちらから!

クイックが上手い投手が相手では、計算上はアウトになる




――まずは「プロ野球チームをつくろう!」の世界をご覧いただきました。

松本 私は初めて見たのですが、これまでのゲームとはひと味違って面白いですね、それぞれが自分のチームを持って、考えながら育てていくというのが。一般の評論家が多いですからね、野球は。

飯田 プレーヤーの個性が出ますね。打撃重視の人もいれば、投手力重視の人もいる。より考えて、ただ勝ち負けだけでなくどうやれば強くなるかをこだわれるのが面白い。

――打順や守備位置の適正も盛り込まれており、四番クラスばかりを集めても完全には機能しない場合があります。例えば内野手だった選手が現在は外野にコンバートされている場合、内野を守らせることも可能です。ただ、そのままでは失策が増えたりするので、守備のスキルを育てたりするんです。

松本 現実の選手とはまた違う持ち味を身につけられるんですね。大谷のように二刀流の選手もいますし、夢がありますね。

飯田 野球を知っていればいるほど、楽しめるゲームだと思います。

――お二方はともに盗塁王のタイトルに輝いています。このゲームの中でも、ちゃんと足の力もパラメーターとして入っています。ただ、足が速いからといって盗塁、走塁が上手いとは限りませんよね。

松本 盗塁の要素にはスタート、中間、スライディングと3つありますが、それがすべて長けているに越したことはない。ただ、スタートは下手でも中間の速さでカバーできることもある。逆にどれだけスタートが上手くても、スライディングが苦手でアウトになるケースもあります。さらにはリードの幅もありますね。

飯田いまはクイックなど投手の技術も上がっていますので、配球を読んだりクセを研究したり、工夫が必要になります。足が速ければ、それだけ相手からも警戒されるわけですから、変化球のときに走るなど、心理面の勉強もしないとなかなか成功率は上がらないでしょうね。

――お二方はプロ入団時、ご自身の売りとして「足」の持つ割合はどのくらいでしたか?

松本 私はもう足しかなかった。まさに100です。本当はプロに行く気はなく、肩の脱臼グセもあり拒否をしていました。大学の成績も決して良くはなく、ケガをする前に盗塁の記録を作ったというだけ。なのに長嶋(茂雄)さんが欲しいといってくれたんです。だから私は足だけでプロになったんです。

飯田 僕の場合、入団時は捕手でしたが、プロでどの道で生きていくかと考えたとき、それはやはり足でした。実際、最初に一軍に上げられたときも代走要員でしたしね。

――盗塁、走塁の技術を磨く練習というと……。

飯田 結局は思い切りなんですよね。足がいくら速くてもスタートが遅ければ成功しません。スタートを良くするためには、根拠をいくつも見つけねばならない。それが難しいんです。この状況なら走れるという根拠を見つけて、自分の中で踏ん切りをつけ、決断する。

松本 とにかくスタートを切らないと盗塁はできませんからね。そういう意味で私が思っていたのは、とにかく二塁へ行くということ。二塁に走って結果を求める。二塁でアウトになることも一つの結果ですが、一塁で牽制アウトになることだけは絶対にダメ。私の場合、すべてサインで走っていました。だからサインが出て初めてスタートが切れる。

飯田 松本さんでもサインだけだったんですか?

松本 そう。だからサインが出たらすぐに行けるように、準備だけはしなくちゃいけない。

飯田 サインが出るのも、一つのきっかけになるんです。逆にフリーは難しい。僕はフリーパスをもらっていたので、その中で状況を見て判断しなくてはならなかった。

――フリーだと、打者によっては嫌がったりされませんでしたか?

飯田 怒られたときもあります(笑)、うろちょろするなって。でも野村(克也)監督は「気にするな」と。一塁より二塁へ進んだほうが、打点を稼げる可能性も高いわけですし。それでも叱られた後は、その人の打順だと走りにくかったのは事実です。サインを出してもらったほうが、打者も納得するから割り切ってやれましたね。

――ライバルも大勢いたと思いますが、この選手はすごかったと思うのは?

松本 高橋慶彦はリードがものすごく大きかった。先ほど言った通り、私の理論の中で牽制でアウトというのは絶対許されないことでしたから、リードは無理してとらなかった。しかし高橋は私より半歩から一歩はリードを大きくしていましたからね。

飯田 同じ広島緒方孝市もすごかったですね。彼はもともと代走から定位置をつかんだ選手だから、並々ならぬ意識を持っていた。塁に出たら必ず走ってくると分かっているのに、あれだけ成功させましたからね。彼と赤星(憲広)、この二人は本当にすごかったと思います。

――投手のクセを見ると言いますが、普通のビデオはセンターカメラやバックネットからのもの。一塁ベースからの目線とは違いますが……。

飯田 いやいや、正面からの映像でも見る意味はとてもありますよ。もちろん両サイドから見られるに越したことはありませんが。

松本 ちょっとした動きを見るんです。いろんな角度から見て、それを感じ取って、実際に自分が一塁に立って見る。

飯田 いまはビデオも発達していますから、相手もこちらの動きを見ている。なのでせっかく見つけたクセも、次には修正してきますからね。だから僕は、捕手のサインを見ていましたね。リードをとっていると、指の動きが見えるじゃないですか。そのうち牽制のサインが分かるようになって、それが出ていなければスタートを切る根拠になりましたね。

――走りにくいのはどういう投手ですか?

飯田 クイックが上手い投手ですね。

松本 それと左投手はやはり走りにくい。牽制も上手いですし、左でクイックされたらまず難しい状況なので、そのまま走るのではなくディレードスチールを仕掛けたり、工夫をしましたね。

飯田 そういう投手のときは、チャレンジする必要はないんです。いまならDeNA久保康友や巨人の内海哲也。彼らがクイックをすると、だいたい1.1秒ぐらいなんです。捕手から二塁への送球はだいたい1.5から1.6ぐらいなので、トータルで2.7〜2.8秒になる。塁間を3秒で走ると、計算上はアウトなんですよね。行けるのはフォークボールなどのときや、送球がそれたりしたときだけなんです。であるならば、わざわざ挑戦する必要はない。

――それが盗塁数が減った理由なんですね。

飯田 データを取ると分かるんですが、走られている投手と走られていない投手、ハッキリ分かれますよ。ただ、盗塁に成功してもその後にホームに還ってこなければ、何の意味もないんですよね。成功して「やった!」ではない。生還して初めてですから、非常にリスクのあるプレーではあるわけです。



帰塁の際に土が入らないように、特注ユニフォームは誕生した




――盗塁、走塁に欠かせない技術にスライディングがあります。足からがいいのか、ヘッドスライディングがいいのか、選手によってこれも分かれますよね。

松本 私はヘッドはせず、すべて足からでした。肩の故障がありましたから、ヘッドをやって肩を外してしまうリスクを避けたんです。

――実は、松本さんのスライディングはヘッドだったと思っている方は多いんですよ。特注のツナギ型のユニフォームが話題になりましたが、ズボンに土が入らないようにあのユニフォームができたということで、スライディングもヘッドだったと思うようなのです。

松本 そうなんですか(笑)。あれは、牽制球の際の帰塁のときなんですよね。帰塁は手からでしたので、土が入ってだんだんヒザのあたりにたまっちゃうんです。その違和感が嫌で、あのユニフォームにしたんですよ。



飯田 基本的に、手から行ったほうが速いです。ただ、ジャンプした野手に踏まれたりというケガのリスクがあるんですよね。

――それを避けるために足からにこだわる選手もいますね。

飯田 よく、一塁は駆け抜けたほうが速いと言いますよね。でも、僕は絶対に手から行ったほうが速いと思っています。守備で考えてみてください。走って追っても捕れない打球を、飛び込んだら捕れるじゃないですか。それを見ても、飛び込んだほうが遠くには行けるんです。

松本 その通り、確かにヘッドは速いんです。ただ、一つ大前提があって、ヘッドが上手いかどうかがポイントなんですよね。

飯田 そうですね。

松本 ヘッドを上手くできる人は、本当に少ないんです。どうしても恐怖感があるから、途中で勢いが止まってしまう。高校野球を見ていても、その勢いを保ってやれている選手はほとんどいない。だから子どもたちには、一塁は駆け抜けなさいと言うんです。

飯田 角度が大事なんですよ。上から行ったら止まるし、下だと進まない。

――そればかりは誰に教わるというものではないですね。

飯田 ヘッドスライディングの練習というのはまずないですね。帰塁の練習ではやるので、それで感覚を身につけていくしかない。実際、試合ぐらいでしかヘッドスライディングはしませんからね。



松本 キャンプで一応、スライディング練習をしたりはしますが、ほとんどそれで上達するということはないですね。プロに入ってくるような選手は、皆ある程度出来上がっていますから。ただ、タッチのかいくぐりや避け方といったものを教えるという感じなんです。

――さて、お二方には外野にコンバートをされたという共通点もあります。

松本 私はケガから転向でしたが、学生時代に外野を守った経験もありました。ただ、やはり打球の違いはすごく感じましたよ、プロとアマの。ですから最初、その打球判断は難しかったですね。足でカバーという部分はありましたが、それ以上に一歩目のスタートで追いつけるかどうかは全然違いました。

――飯田さんは捕手から二塁を中心とした内野、そして外野へ転向でした。

飯田 ただ、捕手は高校3年の1年間やっただけで、特別なこだわりがあったわけではないんです。それでも二塁と言われたときは、正直驚きましたけどね。守ったこともありませんでしたし。だからその次に外野となって、ホッとしましたよ。実際、併殺も減ってしまいましたし、迷惑をかけたという思いは強くて、オフに相当練習をしなければと思っていたんです。しかし、外国人選手が入ったことでセンターに回りました。球拾いなどで外野を守ったりしていましたから、センターのほうが気楽に始められましたね。

――外野の守備を磨くため、一番効果があったのはどんな練習ですか?

松本 やはり球拾いでしょう。フリーバッティングで守っているのが、やはり試合の感覚に一番近いですから。

飯田 もちろんノックも大事なんですが、そういう打球を多く捕るのが上達の一番の近道ですね。

――飯田さんは93年の日本シリーズでの好返球が語り継がれるように、強肩でも名を馳せました。そのあたりへのこだわりはいかがでしょう。

飯田 ホームで刺すのではなく、三塁を回らせないこと。(三塁コーチが)回らせずに止めれば、得点にはならないんです。だから僕はそこにこだわりを持ちましたね。

松本 私の場合、弱肩ということは相手も分かっていたわけです。その中でワンヒットで還られないようにするには、とにかく前に出ることしかないんです。守備位置を浅くして肩をカバーする代わりに、後ろへの打球は確実に捕れるという練習をやりましたね。

飯田 僕も普段は前に守りましたね。芯でとらえられて、頭を越えられたのなら投手も納得すると思うんですが、詰まった当たりをポテンヒットにさせず、捕ってあげることが大事かなと。ですから投手にも聞きました。人によっては大きな当たりを捕ってくれたほうがいいという投手もいたので、そのときは深めに守ったり。

――相手打者のデータもあるので、どの方向に意識をというのはあったと思うのですが、1球ごとに微調整することはあったのですか?

飯田 捕手の構えが見えますから、構えたほうに若干体重を意識して置くようにしましたね。インコースなら左側、外なら右側にと。ただ、そこへちゃんと投げてくれることが大事で、逆球になって意識とは逆のほうへ飛んでしまったということももちろんありました。

――いまの外野手で上手いなと思う選手はいますか?

松本 私はいまの選手は皆、随分と上手いなと思いますよ。一瞬のスタートがとても速くなったし、捕れる、捕れないの判断もとても速いなと思うんです。

飯田 僕はその逆で、ちょっと下手になっている気がするんですよね。打てるけど守れないという選手はだいたい、一塁か三塁、そして外野を守っている。

松本 いまはレフトだね(笑)。

飯田 そうですね。打てるけど守れない選手は多いですが、いまは打てないけど守れるという選手は試合には出られないんです。ファンの方々からすると、すごい外野手といったら陽岱鋼や糸井などの名前が挙がると思うんですが、僕が一番上手いと思うのは阪神大和ですね。なぜすごいかというと、彼はすごいプレーがないんです。それがすごいんです。

――なるほど……。

飯田 何でもかんでも飛びついて捕る選手がいますよね。確かにスタンドも沸くし、チームに勢いもつけることができる。でも、僕はもっと簡単に捕れるでしょと思ってしまうんですよ。難しい打球を普通に捕ってしまうのが大和です。そして絶対捕れないような打球は、飛びついて捕る。とにかく反応が素晴らしいですよ。

松本 我々の見方とファンの皆さんとの見方はまた違うと思いますが、そのあたりを分かって見られるようになると、もっと面白いと思いますね。



PROFILE
松本匡史/まつもと・ただし◎1954年8月8日、兵庫県尼崎市出身。右投げ両打ち。報徳学園高2年の71年、甲子園に春夏連続出場。早稲田大では57盗塁のリーグ新記録を残した。77年ドラフト5位で巨人入り。79年に外野手に転向し、その秋のキャンプで右打ちから両打ちに転向すると、81年より一番に定着。翌年から2年連続で盗塁王に輝き、特に83年の76盗塁はいまもセ・リーグ記録となっている。青い手袋を着用したことから、「青い稲妻」の異名を取った。87年限りで現役引退。通算成績は1016試合、902安打、29本塁打、195打点、342盗塁、打率.278。

PROFILE
飯田哲也/いいだ・てつや◎1968年5月18日、東京都調布市出身。右投げ右打ち。拓大紅陵高3年の春夏連続で甲子園に出場。87年ドラフト4位でヤクルト入り。89年に一軍初出場を果たし、翌年、野村克也監督が就任すると身体能力を評価され野手転向。外野、遊撃を経て二塁に定着したが、翌91年に外野へ再転向をすると、97年まで7年連続でゴールデン・グラブ賞を獲得。外野守備の第一人者として名を馳せた。92年には盗塁王にも輝いている。05年に楽天に移籍し、翌年引退。通算成績は1505試合、1248安打、48本塁打、363打点、234盗塁、打率.273。

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