すべてはあの日から始まった。いまから約1年前、岡島豪郎は自らの生きる道を自分で切り開いた。覚悟を決めて座っていた席を立ち、星野仙一監督に捕手ではなく、外野手での起用を直談判した。闘将の心を動かした情熱の男の一大決心。その瞬間から岡島の新たな野球人生が幕を開けた。 プロ2年目の2013年7月29日。チームはシーズン折り返しを過ぎてペナントレースで独走態勢に入ろうとしていた。岩手・盛岡の焼き肉店で行われた決起集会。「僕を外野で使ってください」と直訴した。正捕手・
嶋基宏の存在は大きく、2番手捕手として代打、代走だけにくすぶっていたが、あきらめなかった。チャンスを自ら手繰り寄せようとした。
その2日後、その思いに応えた指揮官は「一番・右翼」で起用した。同31日の
西武戦(秋田)。真夏にもかかわらず、全身に冷や汗がにじんでいた。願ってもないチャンスだったが、いざ、その局面が巡ってくると緊張で足はガタガタと震えだした。
プロに入って初めて経験する初回先頭で迎える打席。無我夢中でバットを振った打球は右翼の前に抜けた。試合は5回
コールドゲームで引き分けに終わったが、外野手デビュー戦は3打数1安打。「あの試合は人生で一番緊張したかも分かりません」。一見すると大胆なイメージが強いが、繊細な心の持ち主でもある。その男が決断した新たな「外野手・岡島」としての野球人生が幕を開けた。
すでにシーズンは半分を過ぎていたが、ガムシャラに残りシーズンを駆け抜けた。チームは球団創設9年目で初の日本一の栄冠にも輝いた。一度つかんだチャンスを手放さなかった。日本シリーズまで全試合でリードオフマンの役割を全う。第7戦では貴重な勝ち越し二塁打も放った。シーズンでは規定打席にこそ届かなかったが、79試合で打率.323の好成績を残した。オフには若手中心とはいえ、侍ジャパンの一員に選ばれるまでの存在となった。今季から登録も捕手から外野手へと変更。慣れ親しんだポジションを捨て、新たに生きる道を選んだ。
▲今シーズンから登録も捕手から外野手になった岡島。多くの経験を積み重ねながらレベルアップに励む日々を送っている
目指すは松井稼頭央 人生の転機は思いがけないタイミングでやってくる。それが・・・
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