今季のDeNA躍進を支えている陰の立役者が、セットアッパーの林昌範だ。重要な局面で投入され、持ち前の粘り強い投球で勝利に貢献する働きを何度も見せている。中畑清監督からも絶大な信頼を受け、マウンドで躍動している左腕だが、ここに至るまでは苦労の連続だった。幾多の運命の出会いを経て、這い上がってきた男である。 文責=編集部 写真=井田新輔、BBM 転機だったリリーフ転向
大きく息をつきながら、精一杯の冗談を飛ばした。
「監督、僕のことが好きだから……」
7月15日の
広島戦(マツダ広島)。4連投中の林昌範に当初、登板予定はなかった。ところが、抑えの
三上朋也が乱調。3点差となった9回一死満塁でブルペンの電話が鳴った。
「どんな場面でも行くのが、今の僕の職場ですから」
極度の疲労は気迫でカバーした。
田中広輔を3球で二ゴロ併殺。自身7年ぶりとなるセーブを挙げ、チームにも今季初の5連勝をもたらした。「1年1年が勝負。そう思う年齢になってきましたよ」。プロ13年目のシーズン。危機感を口にすることが多くなった。開幕時の役目はビハインドでの登板。2試合に登板しただけで、4月4日に二軍落ちした。
「チーム事情だから、理解してほしい」
中畑清監督が直接告げた降格理由。同26日に再昇格を果たすと、コツコツと信頼を勝ち取るようになった。貴重なセットアッパーとして49試合で2勝1敗1セーブ、防御率2.70(9月11日時点)。今では中畑監督が「神様」と呼ぶ男が歩んできた道には、多くの出会いがあった。
千葉県・市立船橋高では2番手投手、外野手としての出番が多かった。3年春には、左翼守備で中堅手と激突。左足首を骨折し、全治2カ月の重傷を負った。「まさか入れると思わなかった」と遠い夢だったプロの世界。扉を開けてくれたのは
巨人だった。
「高校を卒業したばかりの18歳。右も左も分からない僕を拾ってくれた。感謝の気持ちはずっとあります。本当に、周りの人にも恵まれました」
02年のドラフト7巡目で入団。大型左腕としてキャリアをスタートさせることになった。
ルーキーイヤーは体づくりだった。「おい、キャッチボールやるか?」。宮崎キャンプ。温暖な気候を好み、一軍を離れて残留していた
工藤公康に手招きされた・・・
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