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阪神・鳥谷敬「勝負の1年になるなというのはある」

 

昨年オフ、FA宣言をした阪神鳥谷敬。誰もが海外移籍をすると思っていた。しかし、1月に入り残留宣言を行った。憧れのメジャーをあきらめるに至った、大きな理由――。それは長年の夢以上に大きくなったチームメート、後輩たちへの思いだった。
文=佐井陽介(日刊スポーツ)、写真=前島進、小山真司、太田裕史



日本での夢を選択


 後輩たちは皆、顔面をクシャクシャにして喜んでいた。西岡剛に抱き上げられ、新井良太には興奮のあまり頭をはたかれ……。その瞬間、一塁ベンチ前に目を凝らせば誰もが理解できただろう。鳥谷敬がいかに尊敬され、慕われているのか、が。

 4月12日広島戦(甲子園)の1点を追う8回裏無死一塁。鳥谷は右翼ポール際に逆転2ランとなる今季1号をたたき込んだ。7連敗、そして甲子園開幕からの5連敗を土壇場で阻止する1発。観客4万6057人と同様に、いや、それ以上にキャプテンを待ち構える一塁ベンチが歓喜していた。「新ミスタータイガース」ならではの光景だった。

「進路を決めることにぶつかるときはなかなかなかった。今回は1番悩んだと思う」

 さかのぼること約5カ月前の昨年11月、鳥谷はメジャー挑戦も視野に入れて海外FA権を行使した。12年シーズンに同FA権を取得してから3度目のオフに、満を持して宣言した形だ。同月上旬には自ら渡米し、超敏腕で知られるスコット・ボラス氏を代理人に選定。この時点で周囲はメジャー挑戦への流れを既成事実として扱うことになったが、鳥谷には2つの夢があり、どちらも甲乙つけ難かった。

 メジャー挑戦――。10年以上前の思い出が脳裏によみがえる。早大時代は大学日本代表の常連。大学日米野球は刺激に満ちあふれていた。「150キロ投げる速いピッチャーがいた」。今やメジャー屈指の剛腕、タイガースの右腕ジャスティン・バーランダーだった。「小さいけどうまいショートもいたな」。レッドソックスのリーダー格、ダスティン・ペドロイアのことだ。対戦した選手たちの記憶はおぼろげ。ただ1つ、鮮明に覚えている光景がある。

「休日にみんなでバスに乗ってメジャー観戦に行った。ヤンキー・スタジアムはめちゃくちゃ急な内野のだいぶ上にある席だったかな。デレク・ジーターもいたし、バーニー・ウィリアムズもいた。バーニーの背番号51を見たときは興奮したな」

 学生時代から本場の雰囲気を肌で感じた。そして13年3月には侍ジャパンの一員としてWBCを戦い、最後は「一番・二塁」をつかんでベスト4進出に貢献。さらなる高みへ――。人一倍向上心の強い男がメジャー挑戦を視野に入れるのは、自然の流れだった。ただ、鳥谷には日本に残らなければつかめない夢もあった。

「優勝は自分がやり残したこと。自分は若いときにベテランの方々に優勝させてもらったのに、自分はそれを若い選手に経験させてあげられていない。なんとか1回優勝を経験してもらいたいから。優勝がいいものだと知っているか知らないかでは全然違う。みんな優勝したいって言うけど、今は優勝を知らない選手がほとんど。優勝を経験して本当の明確な目標にしてもらいたい」

 プロ2年目の05年に1度、リーグ制覇の美酒を味わっている。全146試合に出場して打率.278、9本塁打、52打点。堂々たる成績を残しながら、鳥谷は常々この優勝を「させてもらった優勝」と表現する。当時は金本知憲(現野球評論家)ら先輩勢に頼る部分も大きかったのだろう。10年から選手会長を2年任され、12年からはキャプテンを務める。この間、チームの順位は2位、4位、5位、2位、2位。これが最後、進路の決め手となった。

 海外FA宣言から約2カ月後の1月8日。「阪神で優勝したいと強く思った。まだ1度も日本一になっていない。そこを目指したい」。熟考に熟考を重ねた結果、自主トレ地の沖縄で阪神残留を決断した。メジャー関係者の話を総合すれば、水面下ではブルージェイズを始めとするチームからメジャー契約のオファーも存在した。さらに、まだ現地のストーブリーグ閉幕までには時間が残されていた。にもかかわらず、1月上旬での結論。責任感の強い鳥谷ならではの理由があった。

「この時期までに決まらなかったら、と決めていた。大和がショートに行くという話もあったしね。大和は1年間試合に出続けるというのを去年初めて経験して、今度は今年ショートで1年間戦えるかと考えたら本当に大変だと思う。早いうちに自分で決めたいな、というのはあった」

 大和は昨季、中堅手としてゴールデングラブを初受賞。外野手として名手への道を歩むはずが、鳥谷の去就次第では遊撃手に再転向、すなわちキャプテンの後継者に指名される可能性があった。オフは内外野両方の準備を進めざるを得ない状況に陥っていた。自身の去就問題が長引けば、阪神のチーム編成に遅れが生じる。これ以上、後輩に負担をかけたくないという思いも強かったのだろう。沖縄自主トレから帰阪した1月下旬、鳥谷は久々に訪れた甲子園クラブハウスの駐車場で偶然、大和と顔を合わせた・・・

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