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驚異のペースで打ちまくる秋山翔吾の凄さ

 

西武秋山翔吾の連続試合安打は、歴代3位の31試合連続でストップしたが、88試合で142安打している秋山の史上7度目の200安打への挑戦はこれからも続く。1試合平均1.61安打を打っている秋山は143試合に換算すると、230安打を超える計算。2010年にマートン(阪神)が樹立した214安打を更新するのは有望である。
文中の表組の成績は7/21時点でのものとなります。本文は8/2時点

開幕から不動のトップバッターとして安打を量産する西武の秋山。200安打&シーズン最多安打記録を塗り変える勢いで打ちまくっている



安打記録の価値を高めたイチローの存在


 日本のプロ野球では打者の記録の価値としては、安打数よりもアベレージを優先していた。91年のパ・リーグの首位打者は平井光親(ロッテ)であったが、安打数は111で、パ・リーグの個人記録としては20番目であった。

 そんな傾向を打破したのは94年のイチロー(オリックス)である。前年までは主としてファームでプレーし、2年間で36安打しか打っていなかったが、新任の仰木彬監督に抜てきされると驚異的に打ちまくり、最終的に210安打をマーク。50年の藤村富美男(阪神)の191安打を44年ぶりに更新した。

 それより前に50年の藤村の記録に挑戦しかかったのは、63年の広瀬叔功(南海)である。広瀬は61年から65年まで5年連続盗塁王になっていた。64年は6月11日に25試合連続安打し、51年の大下弘(東急)の24試合のパ記録を更新。この記録は27試合まで伸ばした。

 6月14日の近鉄とのダブルヘッダー第1試合でストップしたが、同日現在の打率は76試合で.405と日本初の4割打者の期待はあったが、7月3日を最後に4割台から落ちると、再び大台に返り咲くことはなかった。当時は150試合制で、200安打への挑戦は有利な条件であった。だが、その後は試合数が65年からは140試合、66年からは68年は引き分け再試合制の130試合、69年からは再試合なしの130試合制となり、年間最多安打の新記録樹立の夢は薄れた。

 その中で打ちまくったのがイチロー。開幕16試合目から一番に定着していたイチローは6月29日には打率.407でトップに躍り出た。そのまま7月9日まで4割台にあったが、7月10日に3割台にダウンすると、再び4割には戻れなかった。それでも打率.385は70年に張本勲(東映)がマークした.3834を更新するパ新記録。プロ野球記録には86年のバース(阪神)の.389がある。イチローは00年の.387を置き土産にメジャー入り。ただし00年は30試合に欠場しており、安打数も153でしかなかった。

 その後はイチローの210本の年間最多安打に挑戦する選手はいなくなったが、05年に青木宣親(ヤクルト)が、11年ぶりに200安打を達成してから年間200安打はまた注目を浴びるようになった。10年には2度目の青木を含めて3人が200安打を達成。イチローの時代よりもシーズンの試合数が増加したこともあり、安打数のシーズン新記録への挑戦が有利になった。



 13年には長谷川勇也(ソフトバンク)が198安打で200安打にあと2本まで迫ったが、7人目とはならなかった。

5年目で覚醒した安打製造機の可能性


 そこに台頭したのが西武の秋山翔吾である・・・

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