新人が活躍するか否かは実力以外に環境にも左右される
開幕してひと回りしたところで、今週はルーキーのことを語りたいと思う。編集担当者から「岡田さんの新人時代のことにも触れてください」との要請もあり、まずオレのルーキーのときのことを語ろう。
1980年だから、もう35年も前のことになるんやね。6球団競合の末、
阪神に指名してもらい早稲田大からドラフト1位で入団した。もう自信満々よ。正直、開幕から先発でいける……なんてことまで考えていたわ。
ところがキャンプで、その自信は揺らいだ。周りの先輩を見たら、そら、実力者ばかり。三塁にこだわっていたオレだが、その三塁には
掛布雅之さんがいて、ショートは
真弓明信さんやで。レギュラー陣は力があって、控えも個性的で実力者ぞろい……。「えらいところに入ってしまったわ」というのが素直な気持ちやったし、そこにこんな予告まで耳に届いた。「ルーキーはある時期までは使わないから」。当時の監督は
ブレイザー。外国人監督ではっきりした方針を持っていた。その中に新人は最初から起用しないというモノがあって、ブレイザーに近いコーチから、キャンプのときに方針を伝えられたわけよ。
アリゾナキャンプでは内野手やのに、外野の練習を指示され、内野手のライバルになる外国人選手を突然、テストしたりして、オレは結構、冷遇されたわけ。結局、このシーズン、開幕は4月5日だったのに、オレのデビューは4月11日。何試合かはベンチで見つめるしかなかったわけよね。「岡田をどう使うのか?」「岡田を嫌っているのか?」など、ブレイザーは関西のマスコミといつしか対立するようになっていた。そして5月、突然の退陣表明……。ブレイザーは親しい関係者に「身の危険を感じた」と語り、監督を辞める理由を明かしていた、と聞いた。ルーキーの起用法を巡って、監督が辞める。極めてレアなケースだったけど、オレの知らないところで、事態は進んでいたということだった。
そのあと監督代理になった
中西太さんがオレを重用してくれて、そのシーズン、終わってみれば108試合に出場して打率.290、18本塁打、54打点。新人王を獲ることができた。
もしブレイザーがそのままなら、こういう成績はなかったと思うし、その後の野球人生は変わっていただろう。人生は分からない。それを痛感した1年だったし、やはり環境や状況によって、左右されるということが、よく分かったわ。
巨人の先発事情により高木勇を起用したベンチの「ヒット作」
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