三宅秀さんとキャッチボール、自ら背番号「16」を選んだわ
キャンプもスタートしたばかりやし、まだまだ、どうこう言えるものではない。ということで、今週号の週ベは「背番号」にまつわる話が特集されるらしい。
背番号か……。オレはこれまで何度も書いてきたし、口にもしてきたけど、幼いころからユニフォームを着れば、背番号は「11」か「5」に決まっていた。読者の皆さんには、お分かりだろう。「11」といえばミスタータイガースの
村山実さん。そして「5」といえば、タイガースのスラッガーだった
藤本勝巳さん。この2人にあこがれて、少年野球のユニフォームは、この背番号のどちらかを着けていたわ。
オレらの小学校時代は、大阪でもほとんどが
巨人ファンやった。当然、そういう同級生がユニフォームに着けるのが「3」か「1」。
長嶋茂雄さんであり、
王貞治さんである。帽子も「YG」マークやし、10人いたら8人までがこれやった。
それでもオレは帽子は「T」やし、背番号は3でも1でもなかった。そんなこともあって、小さいころは巨人が強い、いや
阪神や……と、よくケンカしたもんよ。相手の勢力が圧倒的であっても、オレは一歩も引かんかったで。
父親(勇郎)が阪神の選手を可愛がっていた影響もあり、オレは徹底的に阪神愛を磨き込まれたわけよ。村山さんには実際、何度も会って、いまなお大阪玉造の実家には、セピア色したサイン色紙を飾っているほどよ。藤本さんも、歌手の島倉千代子さんと結婚する際、親父が手助けした経緯もあり、可愛がってもらったわ。当然、体中に阪神色が染みついていったということやろな。
そのころ、玉造の実家によく顔を見せていたのが
三宅秀史さんやった。三塁・三宅、遊撃・
吉田義男。巨人の長嶋、広岡以上に守備がうまかった……と評価された人で、その三宅さんに近所の公園で、キャッチボールをしてもらった。そのとき、「キミは指が短いから、内野手を目指せばいい」とアドバイスを受け、そこから内野手・
岡田彰布の野球人生がスタートしたわけよ。
ということで、お分かりでしょうか。オレが阪神に入団したとき、もらった背番号は「16」。これは三宅秀史さんが着けていた栄光の番号やったわけ。小学校のときに野球を教えてくれた方の背番号を、十数年後に自分が着ける。やはり野球はロマン……って、オレは感じていたよね。
実は球団から背番号を提示されたけど、その中には「3」「5」とかのひとケタ番号もあった。そして「16」は
上田二朗さんがトレードで他球団に移籍した直後で、空き番になっていた。だからオレは3でも5でもなく、「16」を躊躇なく選んだ。親父も感激していたし、三宅さんとダブらせながら、泣いていたのを思い出す。背番号というのは、やはり、それくらい大事なもの。そう思うよな・・・
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