「18」をエースナンバーにした男は、天覧試合で長嶋をアシスト、監督で王、原を育てた「教育者」でもあった。 文=大内隆雄、写真=BBM また先週号からの連想ゲームになってしまうが、
秋山登の原稿を書いていて、彼の明大時代のライバルはだれだったのかなあ、とフト思った。学年が同じで、下級生時代から投げ合ったとなると、これはもう慶大の
藤田元司しかいないな、とすぐ結論が出た。
ともに1952年の大学入学。2年時には、もうエース的存在で、勝ち星は、ともに30勝ラインを超えている(秋山=33勝17敗、藤田31勝19敗)。
ただし、秋山は34年、藤田は31年の生まれ。どうして、この2人が同学年になるのかというと、旧制中学から新制高校への切り替え時期には、さまざま混乱があって、藤田の場合、留年、転校(新居浜東高-西条北高)という事情もあって、2年間道草を食ってしまったらしいのである。で、早生まれの秋山より見かけ上、3年も“年上”になってしまったのである。
藤田が入学したとき、ライバル・早大の3年生に
広岡達朗がいたが、藤田は彼よりも“年上”だった・・・
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