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高校時代の恩師が回想 ヤクルト・川端慎吾が目の色を変えた高1の秋

 

文=斎藤寿子 写真=BBM

2006年ドラフト3位で市立和歌山商から入団。プロ入り10年目の今季はキャリアハイの成績を残している



甘えを自分で捨てる心の強さが印象的


 ついに14年ぶりとなるリーグ優勝を狙う東京ヤクルトにマジック1が点灯した。29日の広島戦は、ホームの神宮球場で決めたいという思いが強すぎたのか、逆転負けを喫したが、マジックはそのまま。10月1日の阪神戦に勝つか引き分けでも優勝が決まる。ファンも首を長くして歓喜の瞬間を待ちわびていることだろう。

 今季のヤクルトはチームの優勝争いのみならず、個人のタイトル争いも見どころのひとつとなっている。現在、本塁打王は山田哲人、打点王は畠山和洋、そして首位打者は川端慎吾だ。

 実は川端は、小・中学校の頃はピッチャーとしても活躍し、本人はピッチャーでプロ入りを望んでいた。それを内野手1本に絞らせたのが、市立和歌山商業高校(現市立和歌山高校)時代の監督、真鍋忠嗣氏だった。つまり、もし真鍋氏が高校時代に内野手に絞らせていなかったら、今の川端はいなかったかもしれないのだ。

 真鍋氏はひと目見て、川端の野手としての能力の高さを感じたという。

「彼が中学時代、大阪の知人から『いい選手がいる』という話は聞いていたんです。ただ、実際にプレーを見たことはなかった。高校での初めての練習で彼の動きを見て、『ウワサ通りだな』と思いました。打つ、走る、守る、すべてにおいて優れた技量の持ち主だなと」

 ベースランニングをさせても走塁に長け、またバットの芯に当てるのが巧かったという。当然、真鍋氏は川端を野手として育てようとした。

 ところが、当の本人はピッチャーとしての道を捨てきれずにいた。入学直後、真鍋氏から「ピッチャーとしては諦めろ」と言われても、実際にオープン戦で投げてボロボロに打たれても、踏ん切りがついていない様子はありありと感じられたという。

 そんな中、真鍋氏のある言葉が川端に決断を促した。1年秋、川端はチャンスに全く打てず、さらに守備でも自らのエラーで負けるという状況に陥った。落ち込む川端に、真鍋氏はこう言った。

「ショートだったら、プロ野球選手にしてやるぞ」

 もともとプロ志向が高かった川端には、効果はてき面だった。

「私としても、将来は必ずプロに行かせたいという気持ちが強かったんです。そのためにも、野手として育てたかった。秋の大会で不甲斐ない成績だったこともあって、本人も高校野球が甘くないこと、そして中途半端にやっていたらプロにはなれないとわかったんでしょうね。ピッチャーへの未練を捨てて、目の色を変えて練習するようになりましたよ」

 もともと野球への姿勢は真面目で、グラウンドには誰よりも早く来て、個人練習する姿がよく見られたという川端。そんな彼を真鍋氏は、「『ウサギとカメ』にたとえたら、カメになれた選手」と語る。

「誰でも近道をして楽な方へ行きたがるものです。でも、彼はそういう甘えを自分で捨てる強さがあった。プロという目標を目指して、一歩一歩、進んでいったんです」

 そんな川端がプロ10年目にして、初のタイトル獲得を目前に控えている。これまでケガが多く、「ガラスのプリンス」と呼ばれてきたが、昨年は欠場したのはわずか2試合。そして今年は、残り3試合に出場すれば、初めて全試合出場を果たす。

 真鍋氏は川端にとって、山田の存在は決して小さくないと見ている。

「チーム内での競争心が、彼を奮い立たせている部分はあると思います。高校時代も彼と二遊間コンビを組んだキャプテンと切磋琢磨していたんです。今は、山田選手がいい競争相手になっているんでしょうね。実は山田選手がドラフト1位で入団した際、当時同じショートでしたから『しっかりやらないと、負けるぞ』と言ったんです。そしたら『負けませんよ。任せてください』と。いい意味で負けん気の強さを見せていたんです」

 30日現在、打率は川端が.337、山田が.330。29日の広島戦も、ともに4打数2安打と、両者ともに一歩も引かなかった。残り3試合、最後まで楽しませてくれそうだ。
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