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今年は日本シリーズ的投手起用が見られるのか

 

2013年日本シリーズ第5戦。6回から2番手として好投を見せた則本投手。本人は後に「思い出に残っている試合」と語っている



かつては一人心中型、近年は先発投手が抑えに回るスクランブル型も


 日本シリーズに出場するソフトバンク工藤公康監督、ヤクルト真中満監督ともに監督業1年目。ともに現役時代は日本シリーズの出場経験は豊富だ。

 工藤監督はルーキーイヤーだった82年の中日戦の第6戦、三番手として登板。3回二死から4回一死まで無失点に抑えた。その後、西武時代は83、85〜88、90〜94年、ダイエー時代は99年、巨人時代は00、02年の14度出場。86、87年と2年連続MVPを受賞。26試合に登板し8勝5敗3セーブ、防御率2.39の好成績を残している。

 一方、真中監督も1年目の93年の西武戦の第3戦に代打で初出場(三振)した。95年のオリックス戦は代走や守備固めでの出場だったが、97年の西武戦では一番・中堅で全5試合に出場し21打数7安打で打率.333。01年も5試合すべてに一番で出場。19打数6安打、打率.316で優秀選手に輝いた。現役時代、工藤監督は11度、真中監督は出場した4度すべてで日本一に輝いている。

 短期決戦だけに選手の好不調、相手チームとの相性を素早く把握しなければならず、監督の采配も注目される。

 過去には、一人の投手と「心中」することも多かった日本シリーズ。伝説となっているのは58年の西鉄対巨人。西鉄の稲尾和久は第1戦で先発(4回=●)、中2日の第3戦でも先発(完投=●)、雨で1日置いた第4戦で先発(完投=○)、翌日の第5戦では4回からリリーフ(7回=○)し、自らサヨナラ本塁打を放った。2日置いた第6戦も先発(完封=○)、翌日の第7戦も先発(完投=○)し、見事に3連敗からの4連勝を達成した。

 実は巨人の藤田元司も第2戦を除き6試合に登板している。翌59年の南海対巨人では南海の杉浦忠が4連投4連勝(先発3、リリーフ1)。60年の大洋対大毎戦でも大洋の秋山登が4連投。70年代に入っても、73年の巨人対南海、5試合で巨人は3人の投手しか使わず(堀内恒夫高橋一三倉田誠)、75年の阪急対広島でも、6試合で阪急は4投手(足立光宏山口高志山田久志戸田善紀)しか登板していない。

 80年代になると3人の先発投手が主流となり、エースが中3日で第1、4、7戦に登板した。雨による中止が投手には大きく左右した時代でもある。最後に第1、4、7戦で投げたのは92年のヤクルトの岡林洋一(西武戦)。第1戦は延長12回、161球で完投勝利。第4戦は8回完投1失点ながら敗戦投手(109球)。第7戦は延長10回完投、160球投げたが1対2で敗戦投手となった。この時は第3戦が雨で中止となり1日ずれ込み、第4戦は中4日での登板だった。

 近年は先発、リリーフの役割分担がしっかりできているため、シーズン中とあまり変わらないスタンスでの投手起用が多いが、たまに日本シリーズならでは采配もある。

 08年の西武対巨人では、西武の岸孝之が第4戦に先発し完封。2勝3敗と王手をかけられた第6戦(中2日)、4回途中から帆足和幸をリリーフし勝ち投手となりMVPにも輝いた。初先発が第4戦で次の先発予定がなかったため「切り札」としてリリーフに回している。

 13年の楽天対巨人では、第6戦に160球を投げて完投負けの楽天・田中将大を翌日の第7戦の最終回に登板させた。楽天は第1戦に先発した則本昂大が2失点で敗戦しながらも好投したため、第5戦では6回から辛島航をリリーフ。延長10回まで投げ勝利投手となり、第7戦でも7回から2イニングを無失点に抑える好投を見せた。リリーフ陣に不安があったための采配だった。西武、楽天ともに、このスクランブル登板が功を奏し日本一となっている。

 今年は両チームともにリリーフ陣は強力。シーズン通りの投手起用となりそうだが、場合によっては「型」を崩すスクランブル登板もあるかもしれない。

文=永山智浩 写真=BBM
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