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常に全力で 埼玉西武・星孝典「豪州で見つけたプロとしての生き方」

仙台育英から東北学院大を経て04年ドラフトで巨人へ。11年途中に埼玉西武へ移籍。控え捕手としてチームを支える(写真=SMP Images/Ian Knight)

 

今冬、オーストラリアのウインターリーグに参加した埼玉西武星孝典選手、33歳。今季はケガによる影響で一軍出場はゼロ。チームのため、ファンのため、そして自分のために全力で野球に取り組みたい――。来季に向けて若手に交じり、汗を流す姿を追いました。
取材・文=前田恵

チームの中で自分の存在価値を高めるために


 星孝典という選手を紹介するとき、避けては通れない、つらい話がある。2011年3月11日に発生した東日本大震災。宮城県名取市の実家が津波の被害に遭い、祖父母が死亡した。当時巨人に在籍していた星は先頭に立ち、被災地の支援活動に尽力した。埼玉西武への移籍が決まったのは、その年の5月だった。そしてこの11年の成績が、現時点で星にとってキャリアハイ(40試合出場、73打席16安打、打率.242)になっている。

 今季、星は埼玉西武に来て以来、初めて一軍出場なしに終わった。5月末、右手首の手術をし、リハビリに約3カ月を要したためだ。

「去年の秋ぐらいには“ちょっと痛いかな”と思っても、すぐ痛みが引いていたんです。ところが今年の春のキャンプで本格的に打ち込みをしたら、打っている最中から痛むし、翌日も全く痛みが取れないようになってしまった。その痛みを抱えたまま、シーズンに入りました。こういう年齢(33歳)ですし、立場もあるので極力長期休むことは避けたかったので」

 解決策を探ったが、見つからなかった。「こんな中途半端なままシーズンを終えても、何も残らない」と球団に相談。手術に踏み切った。術後、十分に体を動かすことができない間は、“頭のトレーニング”に時間を費やした。

「ユニフォームを着られない代わり、グラウンドとはまた違った角度から野球を見られるなと思ったんです。野球以外のジャンルも含め、本も読み始めました。どちらかといえばメンタルとか心理学的なもの――“人として”という内容が多かったですね」

 そこで気づいたのは、「やはり自分は野球が好きなんだ」という、当たり前すぎて普段は改めて考えもしなかった事実だった。野球をやりたいのに、それができない苦しさ、早く野球をやりたいという焦り。そんな中で、“チームの中での自分”についても考えた。1つしかない捕手のポジション。

 一選手として、レギュラーマスクを被り、他の誰よりも多く試合に出場することを目指すのは当然だ。しかし現状を見たとき、今季レギュラーマスクを被った炭谷銀仁朗。バッティングに専念していた森友哉も、来季は捕手業に戻るという。岡田雅利も今季、貴重な控え捕手としてチームを支えた。

「今回のケガを経て、“自分にできることは何か”と考えたんです。もちろん、プレーヤーとして試合に出るのが一番ですよ。最初からサポートに回るなんてことは絶対にしたくない。だけど、このライオンズというチームの中で“星孝典”という“1人の人間”を客観的に見たとき、できることはたくさんあるんじゃないか、と思いました。選手として、本当はダメなんですけどね。ただ、やはりどんな形であれ、チームの勝利に貢献することが第一だと思いました。そのためにも試合の中だけじゃない。練習中から私生活に至るまで、すべての中で“星孝典”という選手の存在価値をもっと高めたいと思ったんです」

 チームの捕手陣で、唯一他チーム、しかもセ・リーグを経験しているのが星だった。他の捕手とどこが違うかは、自分でも言葉では言い表せない。それでも自分にしかない何かがある。いや、そうでなければならないはずだ。

 そんな星にとって、豪州のプロ野球リーグ、オーストラリアン・ベースボール・リーグ(ABL)でのプレーは、絶好のチャンスだった。『メルボルン・エイシズ』に所属し、36試合。今シーズン圧倒的に足りなかった実戦を重ねると共に、日本の野球とは違った“ベースボール”を異国の地で生活しながら経験する。

「巨人にいたころ話を聞いて、いつか来てみたいと思っていたんです。いろいろな野球を見て、何か感じ取ることができれば、選手としても、1人の人間としても自分の幅が広がるんじゃないかと」
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