プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は1月12日だ。
1955年、日本球界初の通算300勝を花道に引退したスタルヒン。帝政ロシア時代に迫害を受け、少年時代に家族で日本に亡命。34年、旭川中を中退して日米野球のために結成された日本代表入りし、そのまま
巨人軍の一員となった。37年秋からは4シーズン連続の最多勝、39年には日本記録の42勝を達成した大投手である(53年の記録の見直しで40勝に)。
190センチを超す長身で、日本語はペラペラながら見た目は完全に「ガイジンさん」。戦争中の40年には「須田博(すだひろし)」を名乗らされ、終戦時は在日外国人として軟禁状態となっていたが、実際にはロシア国籍も日本国籍も生涯持っていない。
終戦後の46年、巨人の誘いを断り、恩師・藤本定義が監督だったパシフィック入り。引退時の55年の球団はトンボ(高橋)だった。
明るい性格を生かし、引退後はラジオのパーソナリティー、バラエティ番組の司会とタレント業に転身。忙しい日々を送っていたが、1957年1月12日、自家用車で「旭川中同期会」に向かう途中、東京・玉川線三宿駅前で電車に激突し、死亡した。まだ、40歳だった。
写真=BBM