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こんなこともありました!

トレード“あれこれ”出来事史

 

多くの球団を渡り歩いた選手がいれば、移籍を拒否した選手もいる。
くすぶっていた選手が、移籍を機に活躍の機会を得ることもある。
プロ野球がまだ1リーグ制だった時代の話から、近年の話まで、ここでは、トレードにまつわるさまざまな出来事を紹介する。


【8球団を渡り歩いた流浪の左腕】
後藤修[松竹→大洋松竹→洋松→東映→大映→巨人→近鉄→南海→西鉄]


 静岡の磐田南高から1952年に松竹入りした左腕・後藤修は、翌年、その松竹が大洋と合併して洋松の所属になる。しかし、この2チームでの一軍登板はなく自由契約となると、東映のテストを受けて55年に入団。プロ初登板を果たしたが、ここでは5試合に終わった。すると、56年には大映に入団。11度の先発を含む33試合に登板すると、プロ初勝利を挙げるなど6勝12敗の成績を残した。

 しかし、そのオフにチームが高橋を吸収合併。それにともない、後藤は巨人へと移籍した。巨人で2年間プレーしたのち、近鉄のテストを受け入団。2年で退団すると、その後も南海で2年、西鉄で1年プレーした。後藤が12年間のプロ生活で渡り歩いた球団は、なんと8球団。通算169試合に登板し18勝31敗。ちなみに、引退後はゴルファーに転身しコーチとしても活躍。中嶋常幸や尾崎将司らを指導した。
【行く先々で日本シリーズに出場】
阿波野秀幸[近鉄→巨人→横浜]




 亜大の左腕は1986年秋のドラフトで巨人、横浜大洋、近鉄の3球団に1位指名を受けた阿波野秀幸。抽選の結果近鉄に入団すると、1年目に15勝を挙げ新人王に輝く。89年には最多勝、最多奪三振のタイトルを獲得しリーグ優勝に貢献。日本シリーズでは優秀選手に選ばれた。しかし、成績が下降線をたどると94年オフに香田勲男との交換トレードで巨人へ。96年は4試合の登板に終わったが日本シリーズでは中継ぎで登板。

 その後・・・

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