
「スポーツ選手の場合、成功、失敗のカギは“知”だと思うんです」と語る清宮氏
文=松瀬学、写真=BBM よく噛み、よく食べそして、よく遊ぶ
親の愛は深い。おやじの目は優しい。ラグビー日本一のヤマハ発動機の清宮克幸監督は長男の幸太郎をじっと観察し続けた。ひたむきに野球を楽しむ姿を見て、ヨシッ、野球をやらせてみようと決断した。6年前、幸太郎が小学校3年生のときだった。
父が言う。
「幸太郎は、本当に野球を好きだった。例えば、野球チームに入る前、バッティングセンターに週2、3度、通った。テレビの野球中継も食い入るように見ていた。3年経って、まだ野球をやりたいと言っているので、そこまで好きなら、やらせてやろうと思ったんです」 才能は文句なしだ。1999年、幸太郎は生まれた。体重が3832グラムもあった。父も母も、「大きいことはアドバンテージだ」と考えた。せっかく妻のおなかの中で大きくなったんだから、ほかの子どもとの差を維持していこう、と。
食生活にこだわった。ジャンクフードは食べさせない。牛乳をしっかり飲ませ、たんぱく質を十分にとらせる。肉だけでなく、魚や野菜もたっぷり食卓に並べた。要はバランスのとれた食事である。
虫歯にならないようにも気を付けた。歯磨きの励行はもちろん、コーラやジュースは控えさせた。菓子類の間食はさせない。おかげで幸太郎の歯は丈夫だった。よく噛み、よく食べる。元気に育っていった。
清宮監督は、幸太郎をよく遊ばせた。家には、ラグビーボールやプラスティックのバット、スポンジボールが転がっていた。親子はリビングでキャッチボール、ラグビーごっこに興じた。ふだん運動神経と呼ばれる「運動神経機構」が発達した。
幸太郎は右投げ、左打ち。“投げる、打つ”の基本動作の熟達度は、5歳までの習慣が大きく左右する。野球は左バッターが有利なスポーツと聞いて、4、5歳のとき、幸太郎に左でバットを振らせるようにした。
野球で日本を、世界を見よう
小学校に入学することになると、神宮のバッティングセンターに親子で通い始めた。清宮監督とて、ラグビーの前は野球少年だった。ふたりでカキ〜ン、コキ〜ン。
「幸太郎はよく、バッティングセンターに行こうとおねだりしてきた。1コインでワンゲームの20球。でも、幸太郎は1球目に打ち損じると、残りの19球をいい加減に打つんですよ。幸太郎は20球をひとつのゲームと見ていて、全部バットの芯に当てないと気が済まないんです」 そう笑顔で思い出し、「ただね」とコトバを足した・・・
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