60年代後半の鈴木さん[中央]。右は正力松太郎読売新聞社主、左は鈴木龍二セ・リーグ会長[写真=BBM]
読者は鈴木惣太郎という人をご存じだろうか。大正年間のことだが、勤務地のニューヨークから大リーグの情報を新聞、雑誌に寄稿し、当時の日本で唯一のメジャー通、それが鈴木さんだった。スポーツ報道を重視する読売新聞社長の正力松太郎は、鈴木さんを社に招へいし、やがて、1934年のベーブ・ルースらの大リーグ選抜軍の来日が鈴木さんの努力で実現することになる。さらに、大日本東京野球倶楽部の35年の渡米遠征、翌36年の東京ジャイアンツとなったこのチームの2度目の渡米遠征をともに引率する大役を果たした。
戦後の大リーグチーム来日にも多大な力を尽くし、
巨人軍専務、顧問などを歴任する。“独裁者”正力とアメリカ側のレフティー・オドール、原田恒男の“我利我利亡者”の間にはさまって苦しむのだが、最後まで理想主義の旗を掲げ、決して下ろさなかった人だ。
この鈴木さんの生涯を克明に追った好著が出た・・・
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