当連載の著者、鈴木尚広選手への質問を募集します。上記のリンクからお寄せください 生きる道を示してくれた恩師と、走塁の先生
5歳で野球を始めてから高校を卒業するまで僕の師は父であり、プロ入りに際して背中を押してくれたのも父だということは、コラム内で紹介しました。一方でジャイアンツに入団してからは、チームメートはもちろん、コーチの皆さんにも多くを教えていただきました。ただ、
原辰徳前監督の存在を抜きに、今の自分を語ることはできません。1997年の入団から5年、一軍出場のなかった僕を抜擢してくれたのが原監督であり、プロで“生きる道”を示してくださいました。
出会いは
長嶋茂雄監督(現、
巨人軍終身名誉監督)の下、原さんが野手総合コーチ(99年、翌00年にヘッドコーチに就任)となって巨人へ復帰されたころです。スピードを高く評価してもらい、足で勝負するチャンスをいただきました。前回(8月8日号)のコラムで触れたように5〜6年目は、プロ野球選手として自立し始めた時期で、タイミングも良かった。原監督の考えや言葉がスッと頭の中に入ってきて、強みを生かそう、チャンスをつかもうと素直に思えたことを覚えています。自分は運に恵まれていると思うことが多いのですが、原監督とこのタイミングで出会えなければ、今の僕は存在しなかったかもしれませんね。
特に02年に監督に就任されて以降(02〜03年、06〜15年)は、代走をチームの勝利を目指す上で必要なポジションと位置付け、“枠”を確立されました。これまでも野球界には代走・代打・守備固めといった考え方はありましたが、接戦の試合終盤、1点が必要な場面で起用する、戦術上のスペシャリストとしての“代走”を、25人のベンチ入りメンバーの中に組み込んだのは原監督が先駆けなのではないでしょうか・・・
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