5月30日の告別式には選手がユニフォーム姿で参列(先頭は真弓明信)
プロ野球の歴史の中で、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は5月28日だ。
久々に首位を走る
阪神。その好調さにあやかろう(?)と、5月28日の虎ネタを探していたとき、最後の最後で優勝を逃したが、若手の
亀山努、
新庄剛志が「カメシン」(シンカメとも)と呼ばれ大ブレークした1992年に、新庄が一軍3試合目の大洋戦(甲子園)で4打数3安打と大当たり、前日に続き、決勝本塁打を放った試合を見つけた。主砲の
オマリーの骨折で急きょ一軍昇格。そのチャンスを見事に生かす活躍だった。
ただ、これをこの日の最重要としたら、間違いなく、阪神のオールドファンから袋叩きに遭うだろう。
1992年5月28日、初代ミスタータイガース、
藤村富美男氏が、その波乱に満ちた生涯の幕を閉じた日だ。
藤村は1916年
広島県呉市に生まれ、呉港中から36年創設時のタイガースに入団。すぐレギュラーとなり、戦後は猛打の三塁手として阪神ダイナマイト打線の中核を担い、本塁打王3回、打点王5回、首位打者1回に輝いた。
藤村の魅力はバットマンとしてだけではない。むき出しの闘志とともに、“魅せる”ことに徹底的にこだわり、そのパフォーマンスは
巨人・
長嶋茂雄にも影響を与えた。ただ、これほどのスーパースターも現役終盤の兼任監督時代は、阪神得意(?)のお家騒動に巻き込まれ、苦汁をなめる。58年退団以後は一度もタイガースのユニフォームを着ることはなかった。
マウンドでの豪快なプレーとは真逆に、ふだんは家族思いで、酒も飲まず、物静かな紳士だったという。
写真=BBM