背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。 “ゴジラ”と「55」
長くプロ野球記録だったシーズン55本塁打。巨人の
王貞治が1964年に放ったものだが、その29年後となる93年の巨人で、その数字にあやかって「55」を背負ったのが松井秀喜だ。
王と同じ左の長距離砲で、高校時代から“ゴジラ”の愛称で呼ばれた怪物バッター。王と“ON砲”を形成した
長嶋茂雄監督も、松井に王の面影を見ていたのだろうか。その長嶋監督の指導もあり、松井は不動の四番打者へと成長。3度の打撃2冠を置き土産に海を渡り、ヤンキースでも「55」を背負うことに。“GODZILLA”の愛称とともに、日米で「55」に左の強打者という印象を残した。
そもそも“ゴジラ”とは、54年に公開された怪獣映画に登場する怪獣の名前で、映画のシリーズ化とともに“〜ゴジラ”と称する別個体も登場。プロ野球界でも松井の活躍からは同様の傾向があり(?)、
広島の“赤ゴジラ”
嶋重宣や、
オリックスの“浪速のゴジラ”T-岡田(
岡田貴弘)ら、“〜ゴジラ”と呼ばれる「55」の左打者が次々に登場している。
【12球団主な歴代背番号「55」】
巨人
久保木清、
淡口憲治、
吉村禎章、松井秀喜、
大田泰示 阪神 後藤次男(監督ほか)、
清家政和、
大豊泰昭、
スタンリッジ、
陽川尚将☆
中日 杉浦清(監督)、
竹内洋、大豊泰昭、
紀藤真琴、
福田永将☆
オリックス
竹村一義、
石嶺和彦、
萩原淳、
吉井理人、岡田貴弘(T-岡田)☆
ソフトバンク 森中千香良、
池内豊、
大道典良(典嘉)、ペーニャ、
茶谷健太☆
日本ハム 清水信明、
根本隆輝、
竹内昌也、
運天ジョン・クレイトン、
難波侑平☆(2018〜)
ロッテ 野口二郎(コーチ)、
与那嶺要(コーチ)、新谷嘉孝(吉孝)、
大村巌、
神戸拓光 DeNA 森中千香良(通晴)、
永池恭男、
多村仁、
筒香嘉智、
後藤武敏(後藤武敏G.、後藤G武敏、G.後藤武敏、G後藤武敏)☆
西武 石本秀一(コーチ)、
滝内弥瑞生(コーチ)、
垣内哲也、
工藤公康、
秋山翔吾☆
広島
白石静生、紀藤真琴、
仁平馨、嶋重宣、
エルドレッド☆
ヤクルト 杉浦清、
杉浦享(亨)、
広瀬新太郎、
野口祥順、
村上宗隆☆(2018〜)
楽天 近澤昌志、リック、
西田哲朗(哲朗)、
ディクソン☆(2018〜)
(☆は現役)
「55」にこだわった“大砲”
中日・大豊泰昭
もともと巨人の「55」は淡口憲治、吉村禎章ら左の好打者が並ぶナンバー。淡口は「35」からの“降格”で、そこから奮起して「35」を奪回した。“50番トリオ”で売り出された吉村禎章にとっては出世番号と言えるだろう。
ヤクルトの杉浦享(亨)も「55」を巣立った左の強打者で、その系譜の初代は同姓で、戦後の中日を支えた杉浦清の最晩年だ。
DeNAの筒香嘉智も1年目だけ「55」を着けた左の長距離砲。その系譜をさかのぼると投手の森中千香良(通晴)がいるが、南海と大洋の2チームで「55」を着けた少数派の右腕だ。同様に広島と中日の2チームで着けた右腕が紀藤真琴で、広島の系譜をさかのぼると、人気お笑いコンビ“コント55号”にあやかって着けた左腕の白石静生がいる。
中日で松井よりも前に王の55本塁打にあやかって「55」を着け、阪神でも背負い続けた左の長距離砲が大豊泰昭だ。大豊にとって王は台湾の英雄。ひたすら王の背中を追いかけ、一本足打法にも挑んだ。そして94年に本塁打王、打点王の打撃2冠に。松井とは違う意味で、王の“後継者”と言える存在だ。
写真=BBM