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追悼・星野仙一

追悼企画20/星野仙一、野球に恋した男「2001年閉幕前、突然の中日監督退任会見」

 

 星野仙一さんは、いつも言っていた。「俺はベースボールの取材は断らん」。実際、ほとんど断られたことはない。恥ずかしい話だが、テレビ局などに比べれば、ウチのギャラなど雀の涙……。おそらく、球界にとっての専門誌の重要さを評価してくれていたのだと思う。そういった俯瞰(ふかん)した見方ができる方だった。
 星野さんの追悼号制作の中で、たくさんの資料を見て、たくさんの方から話を聞いた。それがあまりに膨大なので、これから毎日になるか、数日に1回になるか分からないが、追悼号には入りきらなかった話を当時の『週べ』の記事の再録も交えながら紹介していきたい。(以下は敬称略)

「私ほどドラゴンズファンに愛された男はいない」


2001年10月2日の退任セレモニー


 1999年Vの後、連覇を狙った2000年だったが、ダイエーから工藤公康広島から江藤智を獲得するなど、またも大型補強を行った巨人に届かず、2位。対戦成績でも9勝18敗と完ぺきにやられた。

 続く01年を前にしたインタビューで星野監督は「うちの選手は僕の考えをすごく理解してくれる。それがマイナスに働いたね」と振り返った。

「巨人戦を必要以上に選手が意識してしまった。こちらがさせてしまったんですから、僕の負けですよ。しまった、と思っても遅かったね。ただ、巨人に大きく負け越したから優勝できなかったわけじゃない。そればかりがクローズアップされるけど、全体的に乗っていけなかった。これもわれわれ指導者のミステークであって、それは選手より責任を感じている」

 しかし、だからと言って巨人への思いを隠すようにしたわけではない。それどころか、

「今年も巨人に優勝させたらプロ野球はつぶれてしまうよ。自分のところさえよければいい、そんなチームが優勝したら、おかしくなる。巨人が勝てば景気がよくなるって言われていたけど、なっとらんじゃないか。それで日本の景気がよくなって、みんながバブル状態になれるんだったら、ずっと優勝させてあげますよ。とにかく巨人を引きずり下ろさないことには、プロ野球の発展はない。その気持ちで行く」

 と語気を強め、最後は「今年は勝負をかけてますよ。選手たちにも勝負をかけろと言ってある。いいか悪いか、ふたつにひとつ。そういう野球をしますよ」と力強く語った。

 しかし星野監督の自信の源であり、結果的には最大の誤算となってしまったのは、ヤクルトからFAで加わった川崎憲次郎だろう。このインタビュー中でも「トータルで14、15くらい勝ってくれたら、こちらは万々歳ですよ。もちろん、内心ではやってくれると思っているけどね」と語っていたが、実際にはオープン戦で肩を痛め、一軍登板なし。さらに新外国人のアンロー、ティモンズも期待外れに終わり、チームは低迷から最後まで抜け出せなかった。

 それでも星野監督は来季の巻き返しに意欲を燃やしているのか、と思った。

 終盤、若手起用に切り替えた際も「俺は負けることは嫌いだけど、若い選手を使って負けるなら耐えることができる。何か光るものを見せてくれるなら、それで非難を受けるなら甘んじて受ける覚悟はあるよ」と語っていた。

 しかし、まだ閉幕前の9月25日、突然の退任会見……。

「あまり同じチームで長い間、権力の座にいるというのはいかがなものかな、と。ここで身を引いたほうが、これからの選手にとっても刺激になるのではと判断した」

 静かに辞任理由を語った星野監督。直前まで自身の口から来季への構想なども出ていたことについて聞かれ、「そう言うしかないやろ。はい、やめますとは言えんじゃないか」と苦笑しながら語った。

 10月2日、ナゴヤドームで退任セレモニー。胴上げの後、マイクの前に立った星野監督は「私ほどドラゴンズファンに愛された男はいないと自負しています」と言った。

<次回へ続く>

写真=BBM
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