150キロ超の速球とスライダーが武器だった。写真は別試合
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわってその日に何があったのか紹介していく。今回は7月18日だ。
1990年は歴代屈指の新人豊作年と言われる。
筆頭は史上初の8球団競合となった近鉄・
野茂英雄だが、ほかにも1位では
ロッテ・
小宮山悟、大洋・
佐々木主浩、
ヤクルト・
西村龍次、
西武・
潮崎哲也、
中日・
与田剛、
広島・
佐々岡真司、ダイエー・
元木大介(拒否)らがおり、2位以下でもヤクルト・
古田敦也、近鉄・
石井浩郎、広島・
前田智徳ら、そうそうたる名前がある。
即戦力としてルーキーイヤーから活躍した選手も多い。
一番鮮烈だったのが、パの先発投手タイトルを独占し、MVPにもなった野茂だ。
ほかにも35SPでセの最優秀救援投手の与田、
鹿取義隆とのダブルストッパーでセットアッパーも多かった7勝4敗8セーブの潮崎、そして、今回紹介する佐々岡が先発、抑えでフル回転し、13勝11敗17セーブ。さらに言えば、佐々岡は規定投球回に到達し、リーグ5位の防御率3.15をマークしている。
佐々岡は4月12日の初登板(大洋戦)は先発で完投勝利を飾ったが、その後リリーフ登板が増え、前半戦はストッパーに定着した。
7月18日の
巨人戦(東京ドーム)は、チームの先輩である
津田恒実、巨人・
角盈男(当時は
日本ハム)、中日・
郭源治、日本ハム・
武田一浩と並ぶ12試合連続セーブポイントの日本記録を達成した日だ。
佐々岡は13日ぶりの登板だったが、8,9回の2イニングを無失点で13セーブ目。5月27日ヤクルト戦(神宮)から始まった記録で、佐々岡は、この時点で5勝5敗13セーブ。
「目標だった津田さんに並んでうれしいです。でも、まだ実感はわいてこない。ラッキーな面にも助けられましたから」
入団時の佐々岡は入団会見で「目標は真っ向勝負の津田さん」と語っていた。
この日のウイニングボールは、惜しげもなくスタンドに投げ込んだ佐々岡。
「理由? 言わせないでくださいよ」
と笑ったが、当然、狙いはタイではなく、13SPの日本新記録だったはずだ(その後達成。そのまま17SPまで伸ばしている)。
佐々岡の抑え定着は、期せずして、憧れの存在でもある前年の抑え・津田の右肩故障もある。この時期の津田は、二軍で苦闘していた。
写真=BBM、