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特集・2015ドラフト総決算
DeNA2位・熊原健人 仙台大初のプロ野球選手に

 

文=阿部ちはる、写真=黒崎雅久

無名だった高校時代から一気に開花


 32社84名のマスコミ各社が駆けつけ、「これだけの報道陣が来たのは初めてです。ここ数日間本当に忙しくて……」と広報部の職員はうれしい悲鳴を上げ、鳴り続ける電話の対応に追われた。待望の瞬間は長い長い沈黙の後に訪れた。1巡目指名が終わり、会見場の中継画面が切り替えられると機器の不具合により会見場のテレビ画面から音声が消えた。「気を抜かないで見てました」。映し出されるドラフト中継の画面を見つめる熊原健人の表情は強ばったまま。すでに1時間以上が経過していた。

 2巡目の指名が始まり、ウエーバー2球団目。DeNAの球団旗の画像がめくられ“熊原健人”の名前を見た瞬間、天を仰いだ。そして安どの表情で前を見据えた。

「ドキドキしました。素直にうれしいです」

仙台大初のプロ野球選手となった熊原。プロでも結果を残し、後輩たちの良き見本となる



 高校時代は無名だった投手が、大学4年間で一気に花開き夢をかなえた瞬間。そして「縁やタイミングがあることですので、第1号になれて光栄です」と語ったように、仙台大初のプロ野球選手誕生の瞬間でもあった。ここにたどり着くまでには多くの挫折と努力があった。「フォームもバラバラで本当にヘタクソだった」と自身が振り返るように、入学直後はフォームの見直し、体作りからのスタート。強豪チームで1年時から活躍している同級生を見て自分との実力差を知り「自分は何をやっているんだ」と自らを奮い立たせた。2年時には仲間の前で「自分はプロに進みたいし、仙台大を神宮に連れていきたい」と強い意志を語った。だが東北福祉大との1戦で打ちこまれ、「投げ方が分からなくなった」とその年は1年間結果が残せずに終わってしまう。

 それでも努力することを惜しまなかった熊原は3年春季リーグでエースとして同校34年ぶりの優勝に導くと、自身の、そしてチームの目標だった全国大会への出場を果たす。ここからプロのスカウトも注目し始め、その名は全国区に。大学ジャパンにも選ばれ、より高いレベルの環境を経験した。

 公私ともに仲が良い猪俣史也マネジャーは「帰ってきたら・・・

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