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【クローズアップ】苦難を乗り越え開花した理由とは?

中日・濱田達郎 腕を下げ取り戻した輝き

 

人は困難に直面したとき、その真価が問われる。特に数字で結果が表れるプロ野球選手ならなおさらのことだ。思うように結果が出ないとき、どのような方法論で突破口を開いたのか。ここでは今季、苦難を乗り越え開花した3選手をピックアップ。“突破者”たちの成功哲学とは?
※成績は6月16日現在 写真=BBM

 プロ初先発だった5月7日の阪神戦(ナゴヤドーム)で、誰もが驚く完封で初勝利を挙げた。予告先発だった川上憲伸が腰痛で緊急回避。困り果てた首脳陣が、か細い白羽の矢を立てたのが濱田達郎だった。ところが、6安打、11奪三振の代役快投ですら序章だった。さらに白星を積み重ね、無傷の3勝で防御率は2.41。先発ローテーションの一角を任されるまでになった。

 高校時代は「ビッグ3」と呼ばれた。阪神・藤浪はいきなり2ケタ勝利を挙げ、日本ハム・大谷は160キロと豪快なアーチをどちらも魅せる。ところが、1年目の濱田は「ビッグ3」でただ1人の二軍暮らしに終わっていた。2勝8敗、防御率は6.39。87回1/3を投げ、与四球が実に62個。これは11死球とともにウエスタン・リーグでは最多だった。獲得に尽力した中田宗男スカウト部長ですらも「あんな姿は高校時代に想像できなかったこと。正直、もう終わったかなと思った」と言うほどの制球難だった。

 転機はそのオフ。何とか光を見いださせようと、球団は台湾でのウインター・リーグに濱田を派遣した。同行した小笠原孝二軍投手コーチは、高校時代と1年目の投球フォームをそれぞれ映像で見せ、こう尋ねた。「今のおまえとどっちがいいと思う?」。濱田は高校時代だと答えた。「オレもそう思う」。ヒジをスリークオーターの位置まで下げ、腕を振るスタイルを取り戻したところ、原石は再び輝き始めた。

 台湾での成績は4試合で1勝1敗ながら防御率は1.80と劇的に良くなった。ストライクを取るのに苦労しなかったことで、格段に投げっぷりが上がった。その変身が沖縄キャンプでも認められ、4月27日には一軍昇格。中継ぎでのプロ初登板を経て、冒頭の完封へとつながった。

「一軍の打者は甘いボールを確実に仕留めてきます。それに負けないように、しっかりと腕を振って投げることを心掛けています」

▲制球力が向上し、投げっぷりの良さが好成績につながっている



 濱田がこう語るように、藤浪や大谷と比べたらはるかに劣る130キロ台の球速を補うのは、あらゆる球種で同じように腕を振ることだ。球持ちが良く、打者は差し込まれたファウルで追い込まれる。尊敬する投手は「山本昌さん」と公言してきただけあって、球速ではなく球質で勝負するタイプ。その大ベテランも初勝利まで5年を要したのは有名な話だ。それを思えば、濱田の覚醒ははるかに早い。

「濱ちゃんはまだ怖いもの知らずだから。それがいい方向に回っているというのはあるけど、行けるとこまで行ってほしいよね」

 友利結投手コーチも目を細める活躍だが、いずれは再び壁にぶち当たるとも思っている。そこを乗り越えてこそ、本物のプロになる。大きなつぼみが膨らまずにしおれる危機は、回避できた。とはいえ、大輪の花はまだ咲き切ったわけでもない。「ビッグ3」の中では初勝利は出遅れたが、完封は一番乗り。ここから先もことあるごとに比較されるだろうが、マイペースキャラで先輩にも愛される「濱ちゃん」なら、笑顔で突き進んでいくだろう。

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