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第2回 甲子園を目指せない少女たちへ、プロという夢の始まり

女子プロ野球界を代表する存在の小西美加投手


試行錯誤を続けながら、現在まで歩みを続けてきた女子プロ野球の世界を追った特集企画の第2回目。リーグ構想から実現に至る間に、さまざまな課題が立ちはだかります。
第1回「女子プロ野球で第二の人生を歩む元巨人・辻内氏」はこちらです。
取材・文・写真=赤見千尋

選手獲得やプレーの質など最初は課題が山積みだった


 2007年夏、株式会社わかさ生活の社長、角谷建耀知は、祖母の墓参りで訪れた兵庫県丹波市で、「女子硬式高校野球大会」に出合った。

 同じ時期、男子野球は甲子園真っ只中。球場には何万人もの人が集まり、全国放送で中継されるほどの人気を誇っている。しかし女子は――参加高校は5校しかなく、球場はガラガラ。それでも、少女たちは一生懸命にボールを追いかけていた。泥だらけになりながら必死にプレーしていた。甲子園を目指すこともできない、その先に夢を目指す環境のない少女たちのひたむきな姿に、角谷は野球が大好きでも続けられなかった自身の少年時代を重ね合わせたという。

創設時から女子プロ野球の支援を続けるわかさ生活



 全国の野球が好きな女の子に「夢と心の支えになってほしい」という想いを込めて、女子プロ野球リーグ創設を決意した。そしてその想いは、一人の男に託された。

 片桐諭。現在は日本女子プロ野球機構のまとめ役を務める片桐は、当時広告代理店に勤務していた。2009年の春、角谷から女子プロ野球リーグ創設への熱い想いを聞き、広告代理店を退職してゼロからリーグを作った男である。

「もともと角谷社長とはご縁があって、社長が社会貢献に力を入れていることは知っていました。盲導犬や、視覚障害者のマラソンなど、特にスポーツで頑張る方々を応援したいというお考えでした。女子硬式野球大会を見たり、クラブチームの現状を聞いて、女子野球はかなり厳しい環境の中、みんな頑張っているということを知って、女子だけでリーグを作りたいということになったんです」

 プロ野球リーグを作るといっても、決して簡単なことではない。マニュアルがあるわけでもなく、誰かが教えてくれるわけでもなく、手さぐりで試行錯誤しながら進めていった。本当に選手を集めることができるのか。

 そして、球場を貸してもらえるのか。プロとアマの関係は審判は? 練習場所の確保は? やらなければならないことは、後から後から増えていった。

「一番の問題は、やはり人でした。まずは就職先として選手を送り出してもらうために、全国に挨拶回りに行きました。高校、大学、クラブチームと1軒1軒回って。秋にトライアウトをしますって言っても、本当にいい選手が受けに来てくれるか、応募用紙が届くまで不安でしたね。それから、場所の問題です。球場を借りると言っても、これまで数十年そこを使っている方々もいらっしゃいます。土日に希望が殺到するところをみんなで分け合ってた中に新参者の我々が入るわけですから、そちらの関係の方々にも挨拶回りをさせていただきました」

 2009年6月に女子プロ野球準備室が発足し、8月に記者発表、11月にトライアウト開催、12月にチーム発足という怒涛の流れである。

 2010年4月、兵庫スイングスマイリーズと、京都アストドリームスの2チームでリーグがスタート。開幕戦には3000人近くのファンが集まり、注目度の高さをうかがわせた。しかし、すぐに問題が勃発してしまう。開幕から、兵庫スイングスマイリーズが5連勝。2チームの力が違い過ぎて、リーグ戦の形にならなかったのだ。

「2チームしかないので、ワンサイドになると本当につまらないじゃないですか。ドラフトで分けたつもりだったんですけど、力の差があり過ぎました。それに技術面でもまだプロと呼べる選手は少なくて、外野までボールが飛ばなかったり、内野のボール回しでもポロポロ落としたり…。開幕したと言っても、そこからまた問題が山積みでした」

「最初はプロという言葉が信じられなかった」


 女子プロ野球の創世記。リーグを作る側の苦労は計り知れないが、では、選手側はどうだったのだろうか。1年目から女子プロリーグに所属し、数々のタイトルを総なめにした小西美加投手(31歳)の心境は――

「最初にプロを作ると聞いたときは、嘘でしょと思いました。軽々しくそんなことを言わないでほしいと思いましたね。でも片桐さんから熱心に勧誘していただいて、気持ちが動きました。運営に関しては、何もかもまずは失敗から始まるので。横で見ていて、本当に大変そうだなと思いました。選手としては……、自分だけが成績を残せるというのは、リーグのレベルが低いんだなと。こんな選手がトップなのかと思われたくなかったし、もっともっと上手くなりたいという気持ちが強かったです」

本職は投手の小西選手だが、2011年、12年には最多本塁打のタイトルを獲得している



 女子プロリーグが出来ると聞いて驚いたのは、小西だけではない。これまで細々と野球を続けてきた選手たちにとっては、まさに寝耳に水の衝撃だった。

「最初は信じられなかったです」(川保麻弥監督・アストライア)
「絶対に嘘だと思いました」(中島梨紗選手・アストライア)
「まさかと思ったけど、人生の中で一番うれしい驚きでした」(川端友紀選手・アストライア)

アストライアの中島梨紗選手



 初年度は関東と関西でトライアウトが行われ、合格したのは30名。15名ずつ2チームに振り分けて、リーグがスタートした。手さぐりの運営側と、新しい夢を見つけた選手たちと。一人ひとりの努力によって、女子プロ野球リーグは徐々に前進してきた。

 5年目を迎えた今、関東2チーム関西2チームと4チームになり、選手のレベルも格段に磨かれている。球場へ足を運ぶファンの姿も、一部の固定ファンだけではなく、家族連れやカップルなど幅が広がった。

 公式サイトのページビュー数や、YouTubeによる試合視聴者数は増え続けている。さらに、女子プロ野球リーグが発足した年には、高校の女子硬式野球部は5校のみだったのが、たった5年で20校へと急増したのだ。プロという頂点が出来たことで、ピラミッドの底辺が急速に広がっている。2007年、角谷が抱いた想いが、たくさんの人たちの夢とつながり、競技人口の増加へ結びついたのだ。

※第3回は8月27日(水)公開となります

PROFILE
赤見千尋 1978年2月2日生まれ、群馬県出身。98年10月に公営高崎競馬の騎手としてデビュー。以来、高崎競馬廃止の05年1月まで騎乗を続けた。通算成績は2033戦91勝。引退後は、グリーンチャンネル「トレセンTIME」の美浦リポーターを担当したほか、KBS京都「競馬展望プラス」MC、秋田書店「プレイコミック」で連載中の「優駿の門・ASUMI」の原作を手掛けるなど幅広く活躍中。
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