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特別企画 プロフェッショナル論

広島・黒田博樹のプロ意識の高さに触れる

 

今オフ、電撃的に広島復帰を決めた黒田博樹だが、米メディアも「メジャー・リーグで最も成功した日本人投手」と賛辞を送る。5年連続で2ケタ勝利を挙げるなど、安定感は抜群だったから、それは決して誇張ではない。メジャーにアジャストを果たしたのも、根底に強烈なプロ意識があるからだ。取材を通して、黒田のプロ意識の高さに触れた2人に寄稿してもらった。
写真=Getty Images、BBM

▲メジャーに認められた黒田。そのプロ意識は非常に高い



「生き残る」ことを常に考えて試行錯誤したメジャー7年間
文=奥田秀樹(スポーツライター)

「野球を楽しみたい」
6年前の“らしくない”発言


 黒田博樹が「らしくない」発言をした日のことを覚えている。2009年10月23日。メジャー2年目を終えドジャー・スタジアムでロッカー整理を済ませたあとだった。誰もいないスタンドに秋の空が広がっていた。

「2年間いろんな経験をした。来年は少し楽しんでできればいいかなと思う。今までとは違う野球をしてみたい。現時点ではそう思う。(来年は)契約最終年だし、思い切ってできるところも出てくる。今までは野球を楽しむ感覚がなかった。違う気持ちでやってまた新しい野球が見えてくれば。野球を満喫し、マウンドで楽しんでみたい。そうすれば結果も良くなるかも。こっちでは選手が本当に野球を楽しんでいる。それが原点かなと。子どものころのような気持ちでね」

 楽しむ、満喫する、子どものような気持ちで……。通常の黒田語録にはないセリフ。2年目は開幕直後にワキ腹痛。復帰に1カ月半を要し、7月下旬ようやく本調子に戻ってきたかと思いきや、8月15日のダイヤモンドバックス戦で強烈なピッチャー返しを頭部に食らい、救急車で病院に担ぎ込まれた。先発はわずか20試合、117イニング、クオリティースタート(QS)は9試合。7年間で唯一先発ローテーションを守れず、QS率が50パーセント以下だったシーズンである。自分のやり方が通用しない。心が揺れていた。

 週刊ベースボール08年3月17日号の巻頭インタビューで、メジャー・デビュー前の黒田の取材を担当させていただいたことがあった。読み返すと、すでにメジャーで成功するための方向性をきちんと定めていたことが分かる。まずはツーシーム主体のスタイルについて。

「こっちはボールを動かすのが基本だと思うので。日本にはない感覚ですけど、きれいな真っすぐを投げるより、しっかり動くボールを投げた方がいい。今までの自分のスタイルで抑えられるならいいけど、メジャーは甘くはない」

「フォーシームでも(当時)阪神の藤川(球児)みたいなボールが投げられれば別ですけど、1年間、長いシーズンを考えると果たして何球それが続くのか。コンディションがいつもベストとは限らないし、先発投手はどんな状態でも試合を作らないといけない」

 ブルペンでの調整方法についても1年前、一足先に渡米した松坂大輔井川慶が投げ込みを要求、首脳陣と意見が食い違った。

「松坂や井川は若いけど、僕はもう33歳。それに日本式のやり方でできることはこれまでほぼすべてやってきた。せっかくメジャーに来たのだからこっちのやり方にチャレンジしたい。それと、過去2年は広島でもマーティ・ブラウン監督の下で、ブルペンは8分間とアメリカ流。だから初めてでもない」

 長いシーズンを乗り切るため、開幕は抑え気味にとも明かした。

「マーティは開幕を100パーセントではなく85球から90球くらい投げる程度に仕上げ、シーズンを追って調子を上げる考え方でした。日本的な感覚なら、開幕戦は特別でエースは完投が当たり前。僕もそれ以前は100パーセントのつもりで、完投のゲームもあった。それがマーティの下では85球、0対0で交代した。自分の中では割り切れていました」

 とはいえ、いくら頭の中に良いプランが出来上がっていても、実際に実行するとなると、予期せぬ事態に遭遇する。そしてメジャーには身体能力では、日本のエリート選手たちすらかなわない怪物がごろごろいる。調子を崩し結果が出なければ、あっさり首を挿げ替えられる。「楽しまないといいプレーはできない」と監督やコーチが口グセのように言うこともあって、藁にもすがる気持ちで「楽」の文字が出たのだろうと察している。

▲今季、8年ぶりに復帰した広島でどのようなパフォーマンスを発揮するか楽しみだ



日本人投手低評価の流れを変えた奮投


 翌春、メジャー3年目のキャンプ、黒田は積極的だった。筆者が見たのはセットポジションでのグラブの位置を高くしたこと。走者一塁でよく打たれたこともあって、右足に体重が乗りやすく、ためができるようにした。球種についてはカッターが武器になった。「ボールになる球だから失投が少ない。しかも滑らしながら投げるイメージだから、ボールが多少滑る方がいい」と説明する。ボールが当たった後遺症か、怖がって無意識に左肩の開きが早くなっていた部分もあった。上半身と下半身がバラバラなのを、軸足の置き方を工夫し、球持ち良く、押し込める感覚をつかんだ。

 念のために書くと、黒田はこの時期、野球を楽しめたのではない。あの発言について聞くと、「楽しめないですよね」と苦笑いだった。「小学校、中学校でも楽しいと思ってやったことがない。勝負事は勝つだけじゃない。負けたときに楽しむのは難しい。自分の信念でやってきた部分がありますから」

 アジャストが功を奏し、メジャー3年目は初の2ケタ勝利を挙げ、防御率も3.39だった。だがそのシーズン後、「来季は自信を持って臨めるのでは?」と聞いても、「いえいえ、やはり不安や恐怖感がありますよ。それを持ち続けながらこのオフもトレーニングに取り組む。僕は、結局はそういうタイプで、楽しめない。だから次のシーズンも、毎試合、毎試合、最後の覚悟で完全燃焼したい。それでいい結果につなげられれば」と話していた。

 だから先日(1月15日)、ロサンゼルスで自主トレを公開したとき、メジャーでの7年間について「今から考えるとあっという間。1年1年、生き残っていくためにどうすればいいか常に考えてやってきた。一瞬で終わった感じです」と総括した。

 ところで09年といえば、オリオールズに入った上原浩治が先発で2勝4敗、翌年はブルペン転向となった。ブレーブスの川上憲伸は7勝12敗、翌年は1勝10敗と成績を落とした。ヤンキースの井川はメジャーでの登板がなかった。セ・リーグを代表するエースたちが世界の舞台で苦しんでいた。今、日本人野手の評価が低いと言われるが、当時はむしろ先発投手が厳しいとの評価だった。

 そんな中で、黒田は創意工夫をこらし、メジャーで安定した成績を残し続け、流れを変えていた。次のグループ、12年渡米組の岩隈久志和田毅らは先輩から学び、アジャストにつなげている。

 その黒田ですら、09年10月23日は一瞬、軸がぶれた。男心と秋の空。移り気で、秋の空のように危うかったのである。

自らを厳しく追い込み、真摯に野球に向き合う姿勢
文=山田幸美(フリーアナウンサー)

「黒田は最高のヤンキー」
指揮官の最大限の称賛


「カープファンを喜ばせたい」

 3年前、黒田博樹投手に初めて会った際、カープに対する思いを聞くと語ってくれた言葉を今でもよく覚えている。FAで主力選手が流出し、当時はAクラスすら遠かったカープ。それでも懸命に応援を続けるファンたちに自身がチームへ帰ることで良い思いをしてほしいという胸の内を明かしてくれた。そして今シーズン、まさにそれが現実と化すこととなった。

 2014年12月27日。黒田博樹カープ復帰の一報が伝えられたその日、私の携帯電話にもさまざまな方から喜びのメッセージが届いた。約束を信じて待ち続けた多くのカープファンたちは、うれしさを通り越して涙したとFacebookやTwitterで歓喜を共有していた。

 ファンだけではない。「クロにしかできない決断だと思う」、「クロらしいな」。黒田投手に近しい記者たちもその男気ある決断に心躍らせていた。こんなにも人に必要とされ、人の心を動かすことのできる選手がいるんだという事実にあらためて黒田投手の偉大さを知らされることとなった。

 平均寿命8年とも言われる野球キャリアにおいて、日米通算18年とほかからうらやましがられるようなプロ野球人生を送ってきた黒田投手。大きなケガもなく、昨シーズンはヤンキースの投手陣の中でただ一人、先発ローテーションを守った。投手最年長であった先輩について、田中将大投手も“鉄人”という表現で尊敬の意を示したほどだ。

▲昨年、ヤンキースでチームメートだった田中将大も、黒田に敬意を表している



 すべてを懸けてマウンドに上がり、たとえ調子が悪くても粘り強く黙々と投げるその姿は、大型補強しながらも結果が出ず批判されることも多かったヤンキースを何度も鼓舞した。「黒田は最高のヤンキー」

 ニューヨーク・ヤンキースの指揮官、ジョー・ジラルディが昨シーズン終了後に発した最大限の称賛。この言葉がすべてを物語っている。

“今年しかない”
究極のところで勝負


「あんまり(自分に)期待していないんですよね」

 周りの評価とは裏腹に、自身に冷ややかな視線を送る黒田投手。さらにこう続けた。

「僕は自信と過信は紙一重だと思うので。常に不安は持ったままです、何に対しても」

 故事の中に次のようなことわざがある。

“才子才に倒れる”

 才能にすぐれた人は自分の才能を過信して失敗するものだ、という意味である。この言葉を知ってか知らずか、黒田投手は自らを決して甘やかさない。それどころが、どこまでも自分を厳しく追い込む。黒田投手のそうした野球と向き合う姿勢や独自のプロ意識が多くのファンのみならず、多くの野球人をも引きつけるのではないだろうか。

▲メジャーで安定した成績を残した黒田だが、過信することは決してなかった



 黒田投手が2010年から自らの意思で単年契約を結んでいることは言わずと知れた話だ。ベテラン選手にとって年俸が保証される複数年契約は、最もこだわる部分と言われる中で異例である。

「複数年契約をしてしまうと、そこでケガをしたらチームにも迷惑をかけますし、思い切ってプレーするためには1年契約の方が自分のプレースタイルに合っているという判断です」

 チームに貢献できるという確固たる根拠や自信がないシーズンは迎えない、という潔い考えだ。“今年ダメなら来年がある”という選手もいる中で、黒田投手は“今年しかない”と極限のところで勝負している。実際ここ数年は毎試合、一球ごとに「これでダメなら終わり」と命がけでマウンドに上がっている。

「メンタルの究極はいつ壊れてもいいと思っています。人間そう思ったときが一番強いかなと思っているので」

 後悔がないようマウンドに上がるからには、そこにたどり着くまでにどこまでも自分を追い込む。負けることへの怖さ、バッターに対する恐怖心、期待に応えられないかもしれないという不安を、プレッシャーというカタチで自分に課すというのだ。

 カープ、そしてヤンキースでもエースと言われた男が意外な感じもするが、これもまた、自分への厳しさに加えて責任感も人一倍な黒田投手らしい姿だ。

「不安だから練習すると思いますし、恐怖心があるからここまで来られたのではないかと思う」

 登板までの数日間プレッシャーと闘い、それに打ち勝つために調整や研究、チャンレジを怠らない。

「しんどいしかない」

 思わずこぼれた本音だ。過信や奢りと無縁な男には、心身ともに休まるときがないのだ。

眼前の一球に懸ける魂のピッチング


 しかし、一度マウンドに上がると別人と化す。

「すべての恐怖心がなくなる。(メジャーのバッターは)インコースをどんどん突いていかないと抑えられない。スイッチの切り替えはしっかりできていると思います」

 万全な準備をしてマウンドに立ち、最後の一球になってもいいと魂の込もったピッチングを行う。

 その姿から伝わるものがあるからだろう、チームメートだったイチロー選手は黒田投手についてかつてこう語っていた。

「勝たせてあげたいピッチャーとそうでないピッチャーがいる。黒田は間違いなく前者の方」

 誰よりも自分にストイックな黒田投手がプロ野球人生の集大成として選んだ舞台、広島東洋カープ。

「中途半端な気持ちで広島に帰りたくない。心技体すべてそろわないとできないことです」

 メジャーでエースとしてやれる、現役バリバリのメジャー・リーガーとして日本球界に帰って来ることで、カープファンのみならず球界全体から驚きの声が多く上がった。

 その理由もまた、実に黒田投手らしいものである。

「自分にとっては、まったく新しいチャレンジだと思います。もう一度初心に戻っていろんな面でアジャストしていかないといけない」

 日米で成功を遂げた黒田投手が常に進化しながらマウンドへ上がっていこうとする姿は、チームメートや日本球界全体にどれだけの影響をもたらすのだろうか、計り知れない。

 日本人投手初のメジャー30球団勝利、6年連続2ケタ勝利、そしてワールドチャンピオン。今年メジャーでの挑戦を続けていたら手にしていたかもしれない輝かしい勲章だ。

 イチ黒田投手ファンとして、歴史に名を刻む様子を見たかったという思いもぬぐえない。しかし、そうしたタイトル以上に大切にしたカープへの、カープファンへの恩返し。これこそが黒田投手の野球人として、そして人間として最大のプロ意識がなし得た業かもしれない。
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