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惜別球人2016

岡本篤志 引退惜別インタビュー “悔しさ”があったからこそ 「今後はアジア圏に野球を普及させる活動に力を入れていきたい」

 

プロでは遅咲きだった。2004年、明大からドラフト6巡目で西武に入団したが、一軍に定着したのは7年目。29歳と30歳目前だった。うまくいかなかった苦しい日々から脱却できたのは、あるきっかけがあったから。岡本篤志のプロ野球人生に耳を傾けていると実感する。人は変わることができるのだ──と。
取材・構成=小林光男、写真=川口洋邦、BBM


手術もしないで治癒するのを待つ


最初にリタイアを言い出すのだけは嫌だった。プロ5年目の2008年。プロ入り時から結果を残せず、同年も14試合のみの登板に終わり危機感を抱いていた岡本篤志だが、股関節に痛みを抱えていた。しかし、09年も結果を残せなければクビになると思うと、それを口にできない。春季キャンプ。痛みは激しさを増したが我慢し、ケガでキャンプを離脱する選手が出てから、初めて首脳陣に自分の状態を切り出した。

──明大から西武に入り、5年間で一軍登板は35試合のみ。戦力となれなかった要因はなんだったのでしょうか。

岡本 意識が低かったですよね。プロ入り時、野球でお金をもらっている感覚が少なく、プロになって満足した自分もいました。それに僕らの新人時代は今と違って、ウエートのメニューも組まれていない。自分たちで考えてやらなくてはいけなかったのに、そこで人に流されてしっかりと練習に打ち込めませんでした。

──意識が改善されたのはいつ?

岡本 09年の1年間、股関節の疲労骨折のリハビリに費やしたのですが、そのときです。当時のトレーニングコーチが球団に掛け合ってくれて、体を万全にすることに集中することができました。次の年、自分がユニフォームを着ていられるかどうか分からないままだったら、骨折したままプレーを続けようと思っていましたから。そこで球団に感謝の気持ちが湧きましたし・・・

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惜別球人

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惜しまれながらユニフォームを脱いだ選手へのインタビュー。入団から引退までの軌跡をたどる。

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