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第7回 中西太「ホームランは力じゃないんだ」

 

遊撃手がジャンプして捕れなかったライナーが、そのままスタンドイン。まさに数々の伝説を持つ男。指導者としても数々の名選手を育て上げた。プロ野球80年の歴史を彩り、その主役ともなった名選手の連続インタビューは元西鉄の主砲・中西太の登場だ。
取材・構成=大内隆雄 写真=BBM


あのバックスクリーン越え大本塁打を見なかったのは打者・中西だけ!?


中西と言えば大ホームラン、大ホームランと言えば中西─。これは王(王貞治氏)と言えば大ホームラン、大ホームランと言えば王の“常識”を、さらに上回る、“超常識”である。

しかし、中西氏は「狙って打ったホームランなど1本もない」と言う。同じようなことは王氏も言っている。これは偶然の一致ではない。大打者には、ホームランに限らず「狙う」という発想がないようだ。「狙う」のは、一芸に自信はあるが、その他の部分では、ほかの打者に劣っていると自覚している打者だ。彼らは、“ワザ師”と呼ばれる。特殊技能の一芸を成功させないと、生存権を確保できないから、狙って狙って狙いすましてその一芸を見せるワケだ。

大打者は、初めからこの苦労を免れているようだ。彼らは自分のバッティングを意識せずに、つまり狙わずにできる。長嶋茂雄氏のホームラン談話は、いつも同じだった。「打った球?真ん中ですよ」。ミスターにとっては、ヒットしたボールはすべて絶好球なのだ。これを言いかえると、大打者は、投手の投球に合わせるのではなく、相手があたかも自分に合わせてくれたようにスイングできるのだ。

“魅入られたように好球を配する”という、よく使われる表現があるが、大打者は、いつもこの好球を打っているのだ。1953年8月29日、中西氏が平和台球場の大映戦で打ったのもこの球だった。


 林義一さん(大映投手)は、サイドからの外へ逃げる変化球で勝負するタイプ。あのときもそのボールを投げてきた。それが、外へ逃げずに、やや真ん中近くに入ってきた。だから泳がされずに芯でとらえることができた。打球はセンターへのやや低いライナー。私は必死で走りましたよ。まさかホームランになるなんて思ってもいないから。そうしたら、途中で大歓声が上がるんだ。打球はフェンスを越えたらしい。それも、かなり大きなホームランだったらしい。でも、私は全力疾走中だから見ることができなかった。あの試合で、あのホームランを見てなかったのは、私ひとりだったかもしれませんね(笑)。

西鉄ナインを従え威風堂々の中西氏


カージナルスとの日米戦で代打満塁一発の“劇打”。メジャーも脱帽


打球はフェンスどころかバックスクリーンのはるか上を越え、さらに上昇を続けて消えていったという。大和球士の『プロ野球三国史第十巻』(ベースボール・マガジン社)によれば、打球は「バックスクリーンの上空三十フィート、約九メートルのところを越えていった」。その飛距離は「五百三十フィート(一六二メートル)」。

バックスクリーンにぶち当てるホームランは、たまにあるが、それを越える打球は滅多にない。しかも、越えるだけでなく、その上9メートルのところを通過したとなると、これはただごとではない。

ちなみに、当時の平和台球場の中堅フェンスまでは400フィート(122メートル)。日本の球場で最も深い中堅フェンスだった。もっとも、西鉄の1年後輩になる豊田泰光元遊撃手によると「あの一発クラスのホームランを太さん(中西氏)は何本も打っている。左中間場外に飛ばした打球は、当時は照明が暗かったし、どこまで飛んでいったか分からんのだよ。あの一発より大きいものもあったハズ」だそうだ。

こういうレジェンド(伝説)は王氏も田淵幸一氏も落合博満氏も、清原和博氏も、松井秀喜氏でも残していない。これは中西氏ひとりだけのものである。メジャーの強チームがひんぱんに来日した1955年前後、来日メジャーたちは、「中西氏だけはメジャー級」という言葉を残して帰国した。その打棒は、海の向こうにも鳴り響いていた。


 メジャーたちは、かなり私の存在を意識していたようですね・・・

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