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レジェンドに聞け!

第14回 山田久志「昔は名前がいらなかった。フォームで分かったから」

 

史上最高のサブマリン。アンダースローとしては史上最多の通算284勝をマークした山田久志氏。栄華を誇った阪急のエースとして活躍した。プロ野球の歴史を彩り、その主役ともなった名選手の連続インタビュー第14回。山田氏が華麗なる球道を語る。
取材・構成=大内隆雄 写真=BBM



西本監督に簡単に見破られたウソ
「この人にウソをついてはいけない」


この取材を続けていると、取材の終わりに「いやあ、楽しかった。ありがとう」という言葉をいただけるのが一番うれしい。今回の山田久志氏からも頂だいした。頂だいしただけでなく、間髪を入れず、お手紙が到着した。

恐縮するとはこのことで、山田氏の人間性に感じ入るとともに、ああ、この世代は、古さと新しさのあわいに立つ世代なんだなあ、と思ったことである。だから、その野球人生は、ご本人にも他人(野球ファン)にも楽しかったのである。


 私らの団塊の世代は、一匹狼タイプが多かった。どんどん自己主張もしました。でも、野球に関しては、わがままではなかった。これは、自分たちの自覚もあったけど、何しろまだ強烈なタテ社会で、われわれはそこにドップリつかっていた。少々ムチャなことを言われても、やらなしゃあない、そういう時代でした。フクちゃん(福本豊氏)や加藤(英司氏)は、亡くなった西本さん(幸雄元阪急監督)の前に出ると直立不動だったらしい。そういう上下関係でした。

 だから中4日で先発して、いつでもリリーフOKなんてのは、当たり前。つらいなんて気持ちはこれっぽちもなかった。

 ところが、われわれより数年あとの世代になると変わってくる。タテ社会をもう知らんのですね。例えばこういうことです。私は1982年の4月29日、ロッテ戦(西宮)で200勝に到達するのですが(奇しくも山田氏の背番号と同じ17番目の200勝達成だった。その前が巨人堀内恒夫、そのあとが日本ハム江夏豊だから、どういう時代だったか想像できるだろう)、この試合で落合(博満氏、現中日GM)が私から3本もホームランを打ったのです(試合は9対6)。なんと人生の機微を知らん男だ、と(笑)。3本目は9回二死ですよ。試合は決まってるんだから空振り三振でしょう。

 われわれは、こういうマイペースにはなれない。私が中日の監督(2002〜03年)で苦しんでいるときでしたが、フクちゃんが、阪急の歌が入っているCDを持ってきてくれた。中日の監督に阪急の歌というのがなんともねえ(笑)。「オレとお前は阪急の同志やろ!」ということなんでしょうね。これはありがたかったですねえ。とにかくフクちゃんは阪急が好きなんです。われわれにはこういうところがある。

これは、取材・構成者にとってもよ〜く分かる話なのだ。西本阪急から上田(利治)阪急までの約20年の「強い阪急」は、なるほど一匹狼、オレが、オレが、の集まりだったが、最後は「阪急の同志愛」のようなもので、ピシッと一本にまとまってしまって相手を押し切ってしまう野球だった。だから、「ホンマ、強いワ」の印象をファンに与えた。

 それにしても、若いころはよう練習しましたねえ。これはね、キャンプでは西本さんがユニフォーム姿で一番乗りなんだから、やらざるを得ない。そして、必ずグラウンド内にいる。姿を消さない。まあ、たいていはバッティングケージの後ろですが、いつだったか、ポールからポールまでの全力疾走について「山田、お前何本やった」と聞かれたとき、少しだけサバを読んで「10本やりました」と答えたことがありました。すると・・・

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“レジェンド”たちに聞け!

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プロ野球80年の歴史を彩り、その主役ともなった名選手たちの連続インタビュー。

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