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――今でも、アイクさんと二人三脚でやっている気持ちがある。

山本 はい。僕の自宅の玄関にはアイクさんの写真が飾ってあるんですよ。必ず先発の日は手を合わせるんですけど。今でも本当に感謝しています。僕はいろんな方に恵まれてきて、いろんな人に助けてもらって、ピンチのときにいろんな人が現れてくれる。本当に幸せな野球人生だと思います。留学に行かせてくれた星野監督もそうですし、留学という制度自体がなければ、とっくに消えているでしょうから。

――アメリカ留学を終えて帰国後、8月30日の広島戦で初勝利を挙げます。手応え的なものはありましたか。

山本 う〜ん。日本に帰って来いと言われたときに、向こうでは十分な成績を収めてきたことで自信はあったんですけど、やっぱりもしかしたら野球とベースボールは違うのかなと、日本に帰ったらまた同じようになってしまうんじゃないかなと。

 スクリューボールを覚えたといっても、日本のバッターなら打つんじゃないか。そういうことを思いながら、自信と不安と半々で。「いや、俺は向こうであれだけやったんだ」という思いもありましたけど、日本に帰ったらまた同じだったらどうしようと、そういう風に思っていました。

▲88年8月30日ナゴヤ球場での広島戦、アメリカ留学から帰国した山本昌はスクリューボールを引っさげ初勝利。そこから5連勝を挙げ、中日のリーグ優勝に貢献した



――この年は、そこから5連勝。日本シリーズでも登板する活躍を見せるわけですが、それでも不安はぬぐえなかったですか。

山本 そうですね。そんな簡単じゃないだろうとは、いつも思っていました。5勝しましたけど、なんかついているだけじゃないか、確固としたものはなかったです。僕は、昔からなんですけど、飛びぬけていた時代がないんです。小さい頃も、補欠だったり、運動神経が抜群で体育をやれば5だったりとか、そういうことがないので。

 球が速いわけでもないし、バッティングが凄いわけでもない。みんなのなかで、ちょっとうまいぞくらいだったので。いつも僕の周りには、僕よりうまい選手がいたんですよね。たとえ5勝しても、プロの凄さを知っていたので、「たまたまだ」って思ってやっていましたね。自信満々には一回もなったことがないです。

――30年間のキャリア中、ずっとそういう思いだったのですか。

山本 常に、何かあると思ってやっています。調子にのっちゃいかんと。一つ勝つことがどれだけ大変かということを身に沁みて知っていますので。200勝まであと何勝だというシーズンがありましたけど、みんな簡単に言うけど一つ勝っていうのは大変なんだよって。結局達成しましたけど。

 そういう「オラオラッ」というところが僕にはないんですよね。プロ野球選手というのは、自信満々でゲーム上も派手な選手というのがスターなんでしょうけど、僕はどうしてもそういうふうにはなれなかったですね。31年目を迎えても、自信めいたことはないです。

――今期の目標としては、まず史上最年長勝利投手というのが目の前にあります。これに関しても、やってやるぞというのはないですか。

山本 いやいや、これだけ言われていますから、もちろん意識もしますし、勝ったら更新するんだというのは知っていますし。ただ、目標はあくまで優勝なので、そこはクリアして何とか通過点にしたい。そこにとどまってはいられないなと。それが正直な気持ちですね。それを超えなきゃ勝負にならないと。

――今年は何勝を目指す?

山本 開幕からローテーションに入れるなら、もちろん今年も二桁勝てるように頑張りたいです。ひとつ思うのは、そんなに多く投げられるかどうかはわからないですけど、とにかく優勝したいなと。僕の野球人生も終盤、本当に最後の最後なので、もう一回優勝してみんなでワーッと騒ぎたいですね。

 日本シリーズも勝って、優勝の美酒を味わえれば、それでもういいかなと思えるかもしれない。今年は体制も変わりましたし、昨年は久しぶりにBクラスに落ちましたしね。心機一転、出直して頑張れたらいいなと。そのなかで力を発揮して、僕もその優勝の輪の中央でね、喜べれば嬉しいなと思います。まあ、今年の目標はそれが一番ですね。

▲プロ30年目となった昨年は5勝を挙げた。8月には自身の持つプロ最年長先発登板と、セ・リーグ最年長登板・最年長勝利記録を更新。今年は、2桁勝利を目指す

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