ペナントレースの不振の悔しさもあり、天才堀内が“本気”になったシリーズだった。それにしても見事なスイングだ
プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は10月30日だ。
巨人V9時代のエース、
堀内恒夫。監督時代の低迷、さらには名球会ぎりぎりとも言える通算203勝もあって、現在のファンには、やや過小評価されているきらいがある。ただ、同時代を戦った仲間の選手、相手チーム選手の評価を聞いても、この男の力が別格だったことは間違いない。
さらにいえば、野球センスが抜群。投げて守って打つ、すべてを兼ね備えたスーパースターだった。
1973年10月30日、そんな堀内のすごみが分かる一戦があった。
8年連続日本一の巨人が挑んだ日本シリーズ、相手は
野村克也兼任監督が率いる南海だった。12勝17敗とシーズン絶不調だった堀内は、「開幕投手」を
高橋一三に譲り、最初の登板は、10月28日の二番手(大阪球場)だったが、7回途中からの登板で延長11回まで打者15人に1安打無四球、さらに決勝打まで放っている。
1日を空け、舞台を後楽園に移して迎えた第3戦。堀内は投げては2失点の完投と、さほど際立った出来ではなかったが、バットがすごかった。まず3回に先制本塁打、6回には2ラン。投手の1試合2本塁打は史上初の快挙でもあった。試合はそのまま8対2で巨人の大勝となっている。
捕手・野村は「堀内が打撃がいいのは知っていたが、スコアラーからはカーブとスライダーを打つのがうまいと言われ、
シュート中心で攻めた。しかし堀内はカーブ、スライダーを打つのがうまいのではなく、ヤマを張って打つのがうまいタイプだった。スコアラーの報告をうのみにした私が悪かった」と振り返っている。
巨人は、そのまま4勝1敗で9年連続日本一、いわゆるV9を達成。MVPは第5戦ではリリーフで好投し、胴上げ投手となった堀内だ。3試合で2勝、打っては打率.429、2本塁打、4打点だから当然だろう。なお、このシリーズ全5戦で、巨人はなんと堀内、高橋一、
倉田誠以外の投手を使っていない。これもまた、隠れた大記録だ。
写真=BBM