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トレード物語

【トレード物語06】中日・星野監督がタブー視されていたトレードを実現【88年】

 

近年は少なくなってきたが、プロ野球の長い歴史の中でアッと驚くようなトレードが何度も行われてきた。選手の野球人生を劇的に変えたトレード。週刊ベースボールONLINEで過去の衝撃のトレードを振り返っていく。

西本を高く評価していた星野監督


89年、巨人からトレードで中日に移籍した西本


[1988年オフ]
巨人・西本聖加茂川重治⇔中日・中尾孝義

 1986年オフに星野仙一監督が就任してから、中日ファンはオフになるとド肝を抜かれっぱなしだった。ロッテ落合博満牛島和彦上川誠二ら4人と交換した大トレードに続き、その2年後、88年には中日にとっては永遠の宿敵ともいえる巨人と主力選手同士のトレードまでやってしまったのだ。

 巨人・西本聖、加茂川重治両投手と中日・中尾孝義捕手の交換は、親会社が新聞を発行するマスコミのライバル同士であるということにとどまらず、同一リーグの主力選手同士の交換というそれまでタブー視されていたことへの挑戦という意味で、画期的なものだった。

 監督就任2年目の同年、早くも中日を優勝させた星野監督は次の大目標、日本一の座を目指して、日本シリーズが終わると休む間もなく補強作戦に明け暮れた。

 中日は同年、球宴後、勝率.745という驚異的な強さで突っ走ったが、一つには勢いに乗った打線、もう一つはシーズン半分近い61試合に登板、あらゆるピンチをくぐり抜けてチームに勝利をもたらした守護神・郭源治の存在があったからだ。星野監督は、“勢い”でVまで突っ走ったことへの不安が心から離れなかった。連覇できるチームにするには何が何でも投手力の強力な補強――これしかないと考えていた。

 西本への思い入れには、そんな背景がまずあった。西本は75年、松山商高からドラフト外で巨人に入団。持ち前の負けん気とキレ味鋭いシュートを武器に80年から85年まで6年連続2ケタ勝利。81年には沢村賞を受賞していた。しかし、チーム内の最大のライバル・江川卓に衰えが見え始めると、西本自身も緊張の糸が切れたように衰えを見せてもいた。さらに首脳陣とのゴタゴタも目立ってきていた。

 星野監督はこうした西本を、やる気を起こさせればまだまだとてつもない力を出す男と見て、むしろ、その“スポ根”を高く評価していた。

 一方、中日の中尾は早くから天才的捕手として注目され、専大、プリンスホテルを経て、81年ドラフト1位で中日入りしている。入団2年目の82年のリーグ優勝に貢献し、MVPを獲得したように、センスの良さとスピードのあるプレーで「従来の捕手像を変えた」とまで言われながら、ガッツプレーが再三故障につながり、ゲームから遠ざかるマイナス面も呼び込んでいた。

 この2人に加え、巨人側はほとんどファーム暮らしの加茂川をからませたとはいえ、両球団のファンにとっては、まさに驚天動地ともいえる大トレードだったことは間違いない。

解説者時代から中尾に目をつけていた藤田監督


巨人入団発表の中尾(前列左から2人目)。新人選手と一緒だ


 当時、捕手は山倉和博有田修三という肩の衰えの著しい2人しかいない巨人には、中尾はノドから手が2、3本も出そうな対象。巨人・藤田元司監督は中村武志大石友好大宮龍男という強力な捕手陣で、中尾を外野手にまわす“ぜいたく”をする星野監督に、解説者時代からことあるごとに「巨人サイドで考えて中尾をもらえるなら、私ならだれでも出す」といっていたという。

 両監督はもともとNHK解説者としてごく親しい間柄にあり、野球に対する情熱の大きさで、人間的に信頼し合っていたことが、このタブーとされてきた同一リーグのライバル球団のトレードを実現させたことになる。

 星野監督は、現役時代から“巨人を倒すことがオレの生きがい”と、巨人には不屈の精神でぶつかってきた。このときのトレードでも自ら「中尾を出すことで巨人の最大の弱点が埋められてしまい、他の球団にうらまれるかもしれん」と話したことがある。

 事実、中尾を得た巨人は89年、日本一に輝いている。一方、中日も同年、2連覇こそ逃したが西本が20勝を挙げて最多勝をマークした。

「日本のトレードは陰湿でしんきくさいものに仕立て過ぎている。大リーグのように、もっと明るいものにせんといかん」とドライに割り切る星野監督。闘将でなければ、このようなトレードは実現できなかった。

写真=BBM

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