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プロ野球デキゴトロジー/11月21日

球界に激震!江川卓の「空白の1日」【1978年11月21日】

 

正式な入団会見は翌79年。阪神入団後、巨人小林繁とのトレードによってだった


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は11月21日だ。

 1978年11月21日は、「空白の1日」と言われ、まさに球界に大激震が起こった日だ。

 ただし、事件の全貌を説明していくと、1冊の本でも収まらない。今回は20、21日に絞り、何があったか拾い集めていきたい。

 高校、大学球界で「怪物」と言われ、プロでもすぐエースになる力があると言われていた剛腕・江川卓。巨人と相思相愛ながら、法大4年時のドラフトではクラウンライター(その後西武)に1位指名されると、それを拒否し、1年の“浪人生活”を選んだ。

 この時点では世論的には江川に同情的だった。「あんなに行きたいなら巨人に入れてあげたい」と多くは思っていた。しかし、そのすべてが覆ったのが、この日の、まさに暴挙からだった。

 水面下はともかく、公に動き出したのは、11月20日だった。17時、江川が留学先のアメリカから4カ月ぶりに帰国。ほぼ同時期、西武が獲得断念の記者会見を行った。

 マスコミが殺到し、騒然とする中、「お答えできません」「分かりません」を繰り返した江川が空港から向かったのが船田中自民党副総裁の自宅だった。ここで江川サイドが話を詰め、さらに深夜のホテルで船田議員の秘書と巨人側との最終確認を経て、早朝の3時50分、報道者幹事に記者会見開催の連絡があった。

 翌11月21日、船田事務所で朝8時50分に江川が巨人との契約書にサイン。9時30分、同ビルで記者会見を行った。江川は「小さいころからあこがれの巨人軍とただいま正式に契約しました」と笑顔で語ったが、もちろん、記者たちはみなあ然。ドラフトは翌22日、ドラフトにかからず、なぜ入団会見が可能なのか……。

 正力亨オーナーは、77年のドラフトで江川を指名したクラウンライター(西武)の交渉権はドラフト2日前に11月20日で消滅。21日は協約上、江川は「いずれの球団にも選択されなかった選手」となり、自由に契約できると判断したと語った。巨人はその後、セ・リーグ事務局に江川の登録申請を届け、事務局も「ひとまず預かるだけ」と言いながら受け取った。

 巨人・長嶋茂雄監督が聞いたのは11時30分だったらしい。「寝耳に水。どうなっているんだろう」ときょとんとした顔で記者たちに話していたという。

 その後、12時15分からドラフト会議の打ち合わせのための12球団プロ野球実行委員会が行われ、当然のように事務局、セ・リーグ、他球団から巨人に激しい抗議があった。6時間にわたる会議の後、セ・リーグの鈴木竜二会長は会見を行い、「セ・リーグの会長として巨人の登録申請を協定上該当しないと判断して却下した」と発言。同席し、抗議の発言を繰り返した巨人・長谷川実雄代表に「いつまでやっても仕方がない」と席を立った。

 20時30分には長谷川代表から「巨人軍の契約選手(江川)を(ドラフトで)指名したら告訴する」と発言。さらに正力オーナーとともに翌日のドラフト会議のボイコットを表明し、「リーグ脱退も辞さず」と語った。

 とにかく、すさまじい1日だったのだ。

写真=BBM
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