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プロ野球デキゴトロジー/1月1日

広島・前田健太がドジャースと契約合意【2016年1月1日】

 

15年15勝で最多勝を獲得しての移籍だった


 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は1月1日だ。

 アメリカのニューイヤー・イブ(大晦日)、現時間2015年12月31日、日本時間の2016年1月1日、複数の米メディアが広島からポスティングシステムでメジャー移籍を目指す前田健太投手とドジャースの契約合意を伝えた。

 メジャー30球団に前田が獲得可能選手として公示されたのが12月9日(以下すべて米国時間)。交渉期限は同東部時間1月8日午後5時までとなっていたが、今回は同システムで移籍した過去の事例と違い情報量の少なさは際立っていた。具体的交渉が行われた事実が伝えられたのはドジャース1球団のみ。当初、獲得を目指す可能性があるとされてきたエンゼルス、カージナルス、ジャイアンツなどは前田のポスティングが公示された数日後に「我々の先発投手の補強は完了した」と、次々と撤退を表明した。

 メジャー30球団のほとんどが日本へスカウトを派遣し、前田へのラブコールを送り続けていた事実を考えれば信じられない動きとなったが、それには理由もあった。

 ここ数年、先発投手市場の動きは遅く、1月下旬まで交渉が続くのが通例だったが、その年は目玉であったデービッド・プライスがレッドソックスと契約したのが12月1日、ザック・グリンキが12月7日にダイヤモンドバックスと契約。先発投手の移籍市場が例年より早く動いた。超大物の2人が早々に市場から消え、2番手グループに位置するジョニー・クエトがジャイアンツへ、マイク・リークがカージナルスヘと決まるなど、先発投手の補強が急務とされる各球団の予算は次々と底をついていった。

 前田の名が移籍市場に載ったときには、多くの球団が次のステップへと移行。投手補強が課題でありながらグリンキ残留交渉に失敗したドジャースが“先行逃げ切り”の形で前田と契約合意に達したわけだ。

 前田が家族を伴いロサンゼルスに降り立ったのは12月14日。大きなスーツケース6個持参しての滞在は住環境を含め現地視察を行いながら、代理人とともに腰を据えて契約交渉に当たるが狙いがあったはずだ。

 その前田がドジャー・スタジアムに現れたのがクリスマスイブの24日。ドジャース側は球場内の大型スクリーンに「Welcome Kenta Maeda」の文字に加え、ドジャースの背番号15のユニフォームを着た前田の合成写真を表示し歓迎した。代理人のアダム・カッツ氏を伴った視察と直接交渉は2時間半。その際、カッツ代理人は待ち受けた報道陣にVサインを見せる余裕の笑顔。前田はその夜、帰国の途へ就いた。

 その7日後、31日に契約合意の報。発表が24日直後でなく日本時間の年明けになったのは、「広島が譲渡金2000万ドル(約24億円)の収入を16年度の予算に組み込みたい意向を持っていたから」と言われた。

写真=BBM
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