2018年に創刊60周年を迎える『週刊ベースボール』。おかげ様で、すでに通算3400号を超えている。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 豪華な座談会『ペナント・レース嵐の主人公たち』
今回は『1959年8月19日号』。定価は本文ページ増で10円アップの40円だ。巻頭グラビアでは1勝1敗に終わったオールスターのゲーム、後ろグラビアでは当時あったオールスター前夜祭の様子が掲載されている。
本文巻頭も『特集1959年オールスター』で「両軍ベンチのつぶやき」「対決名場面集」「若手選手はなにを感じたか」の3部構成となっている。
ベンチで不機嫌だったのが巨人・
水原円裕監督だったらしい。カメラマンがセ監督・水原、パ監督で西鉄監督の
三原脩の2ショット撮影をリクエストし、まずは三原監督が出てきてバックネット中央あたりに待機していたのだが、水原はベンチ裏から姿を見せるとカメラマンに、
「おい、撮るなら三原をこっちに呼んで来いよ」。
カメラマンが三原監督に頼んで来てもらうと、三原監督は水原監督を見て、
「敵地に乗り込んでやったよ。だけど、捕虜にせんといてや」。
報道陣は爆笑も、シベリア抑留経験がある水原監督は、嫌味と思ったか仏頂面となってしまった。
球宴だけに座談会も豪華だ。『ペナント・レース嵐の主人公たち』で集まったのが、西鉄・
豊田泰光、大毎・
山内和弘、巨人・
長嶋茂雄、南海・
杉浦忠、大洋・
桑田武、
中日・
森徹だ。第1戦の前日らしい。唯一の投手である杉浦は、この時点で、すでに21勝を挙げていて、まさにキレキレ。パの打者たちの、こんなやり取りもあった。
記者 セ・リーグのこのピッチャーを打ちたいというのは。
山内 ぼくらはないな。打ちたいのは杉浦の球だけだ(笑)。
豊田 右に同じ(笑)。いまの杉浦の球が打てたら絶対だね。打率4割くらい打てる。
連載で、元中日ほかの投手でアメリカにも留学した評論家・
大島信雄の『日米野球問答』という企画もあったが、第7回のテーマは「フライを打つ野球」。ライナー性の当たりではなく、フライを打ったほうがヒットになる確率も高い、というのが近年のメジャーの考え方だが、それに近い発想の原稿で興味深かった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM