週刊ベースボールONLINE

背番号物語

【背番号物語】「#37」21世紀パ・リーグの捕手ナンバー

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

象徴的な嶋の存在感



 古くは打者の出世ナンバーという傾向があった「37」。21世紀に入り、パ・リーグでは正捕手クラスの捕手が並ぶようになった。象徴的なのは、21世紀に誕生した楽天で一貫して「37」を背負い、チームを支え続ける嶋基宏だ。

 東日本大震災で地元の仙台が被災、混乱するナインを鼓舞し、2年後の2013年には初の日本一に輝くチームの大黒柱に。迎えた18年は12年目のベテランとなるが、まだまだ正捕手の座は譲らない。

 また、西武では若手時代の炭谷銀仁朗(銀仁朗)から岡田雅利が継承。着実に出場機会を増やしている。さらにオリックスでは、17年は100試合に出場した若月健矢が、正捕手の座を不動のものにするべく牙を研ぐ。

【12球団主な歴代背番号「37」】
巨人 中島執篠塚利夫元木大介岡島秀樹田原誠次

阪神 中村和臣永尾泰憲高井一野原将志森越祐人

中日 与那嶺要江島巧、与那嶺要(監督)、鈴木康友北村照文三ツ俣大樹

オリックス 大石弥太郎三好幸雄有賀佳弘辻俊哉、若月健矢☆

ソフトバンク 富島五郎桜井輝秀佐久本昌広、岡島秀樹、福田秀平

日本ハム 牧野伸村上雅則田中幸雄石本努矢野謙次

ロッテ 菅原紀元梅沢義勝小野和幸本西厚博三木亮

DeNA 島野雅亘山根善伸金城龍彦桑原将志楠本泰史☆(2018〜)

西武 清俊彦仲田秀司大友進、炭谷銀仁朗(銀仁朗)、岡田雅利☆

広島 紺田周三西沢正次緒方孝市松山竜平野間峻祥

ヤクルト 村田元一伊勢孝夫岩下正明福川将和カラシティー☆(2018〜)

楽天 永池恭男、嶋基宏☆
(☆は現役)

セ・リーグでは打者の出世番号


広島・緒方孝市


 1960年代から90年代にかけて、多くの好打者が「37」から巣立っていった。南海の桜井輝秀はドラフト5位から這い上がり、6年目の72年に「1」となって82年までプレーを続けたスーパーサブ。同じ二塁手では76年に入団して4年目から「6」となった巨人の篠塚利夫が続く。2度の首位打者に輝いた、球史に残る巧打者だ。

 同様に「6」となって通算2000安打に到達したのが、プロ入りした86年から90年にかけて「37」を着けていた日本ハムの“ミスター・ファイターズ”田中幸雄。ほぼ同時期のセ・リーグでは、広島で現在は監督を務める緒方孝市が着けていて、21世紀に入って松山竜平を経て野間峻祥の背に。松山は「44」へと数字を大きくしたが、ともに緒方監督の下、新たな黄金時代を支える存在だ。

 DeNAでも近年は出世番号の傾向があり、金城龍彦が2年目の2000年にスイッチヒッター歴代最高の打率.346で首位打者となって「2」を経て「1」へ、入団から一貫して着けていた桑原将志も迎えた18年、プロ7年目にして「1」へと“出世”した。逆にパ・リーグでは、機動力野球へと舵を切った90年代後半の西武を支えた大友進が「37」を背負い続け、これに続く「38」を移籍した中日で着けて現役を引退している。

 大友の系譜をさかのぼると、中日では与那嶺要が現役最晩年とコーチ時代、巨人のV10を阻んだ監督時代と背負い続けた栄光のナンバーに。西鉄にはノーヒットノーランを達成した清俊彦がいる。

 投手では同時期に国鉄の第2エースだった村田元一。近年では岡島秀樹がレッドソックスを含む日米3球団で背負い、「37」の系譜に異彩を放っている。

写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング