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背番号物語

【背番号物語】「#38」戦火に散った若き左腕の面影

 

背番号は選手たちの「もうひとつの顔」だ。ある選手が引退しても、またある選手がその「顔」を受け継ぐ。その歴史を週刊ベースボールONLINEで紐解いていこう。

虎の創設期を彩る若き左腕から……



 阪神の初代は三輪八郎。まるでライバルの巨人にいた沢村栄治を鏡に映したような左腕で、藤村富美男は「速球だけで勝負できる数少ない左投手」と評している。

 それまで阪神は沢村に2度のノーヒットノーランを許していたが、1940年、阪神で初めて、しかも川上哲治中島治康らを打線に擁する巨人を相手にノーヒットノーランを達成したのが三輪だ。弱冠18歳。巨人にとって初の屈辱であり、当時は日本の統治下にあった中国東北部の大連での初の快挙でもある。

 ちなみに、達成したのは「38」をひっくり返した8月3日だった。三輪は43年限りで応召、思い出の中国大陸へ出征し、44年に戦死。沢村が戦死する4カ月ほど前のことだという。

 なぜ、この「三輪八郎」という若者が「38」という背番号を着けたのか、正確に伝える資料は残っていない。ちょっとだけ想像の羽根をのばしてみると、たぶん……。

【12球団主な歴代背番号「38」】
巨人 井上嘉弘末次民夫(利光)、仁村薫勝呂博憲岸田行倫☆(2018〜)

阪神 三輪八郎、野田征稔山川猛岩田徹マテオ

中日 堂上照島田芳明井上一樹鈴木郁洋松井雅人

オリックス 木頃博巧住吉重信高田誠相木崇小島脩平

ソフトバンク 神原重人、右田雅彦西村龍次神内靖森唯斗

日本ハム 田村友美今井務櫻井幸博、武田勝、石井一成

ロッテ 成重春生岡部明一早川健一郎中郷大樹伊志嶺翔大

DeNA 吉成武雄松井武雄、河野安彦(誉彦)、川端一彰山下幸輝

西武 若生忠男金城致勲相馬勝也佐藤友紀(トモキ)、玉村祐典

広島 水谷実雄大久保美智男前間卓朝山東洋赤松真人

ヤクルト 東条文博土橋勝征野口寿浩野中徹博梅野雄吾

楽天 山下勝充楠城祐介橋本義隆西宮悠介
(☆は現役)

投打の出世番号


日本ハム・片岡篤史


 その後、阪神では700試合連続フルイニング出場を果たした三宅秀史の出世番号となり、期間は短いが移籍してきた米田哲也、晩年の弓永起浩ら左腕も継承。他のチームでも投打の出世番号という傾向はあり、DeNAでは松原誠遠藤一彦が、日本ハムでは片岡篤史と岩本勉が、短期間ながら背負っている。

 捕手が多いのも特徴だ。松原の「38」は若手時代、捕手だった時期と一致する。中日には好打者の井上一樹がいるが、「38」だったのは投手時代。前任者は日本ハムから移籍してきた大宮龍男、後継者は矢野輝弘で、ともに2年ずつ着けていた。

 広島で2度の日本一に貢献した強打者の水谷実雄も入団時は投手で、「38」時代に野手へ転向して大成、現在は“スパイダーマン”赤松真人の背へと受け継がれている。「38」の傾向を凝縮したのがヤクルト。俊足の遊撃手だった東条文博から名脇役の土橋勝征、捕手の野口寿浩にリリーバーの野中徹博と、多彩な顔ぶれが並ぶ。

 そして21世紀、「38」を再び左腕の背番号として輝かせたのが日本ハムの武田勝だ。三輪とは対照的に、「球界最遅」とも言われるストレートを正確無比の制球力で投げ込む異能の左腕。2009年から4年連続で2ケタ勝利を挙げ、この間2度のリーグ制覇に貢献した。迎えた18年、現役の左腕は楽天の西宮悠介のみ。歴史の闇に消えた左腕の背番号物語は、今後も語り継がれていくのだろうか。

写真=BBM
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