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追悼・星野仙一

追悼企画27/星野仙一、野球に恋した男「セ・リーグ史上最速のマジック点灯」

 

 星野仙一さんは、いつも言っていた。「俺はベースボールの取材は断らん」。実際、ほとんど断られたことはない。恥ずかしい話だが、テレビ局などに比べれば、ウチのギャラなど雀の涙……。おそらく、球界にとっての専門誌の重要さを評価してくれていたのだと思う。そういった俯瞰(ふかん)した見方ができる方だった。
 星野さんの追悼号制作の中で、たくさんの資料を見て、たくさんの方から話を聞いた。それがあまりに膨大なので、これから毎日になるか、数日に1回になるか分からないが、追悼号には入りきらなかった話を当時の『週べ』の記事の再録も交えながら紹介していきたい。(以下は敬称略)

「魔の6月」も15勝5敗


5月9日には、あの85年以来の3連弾(写真は3人目のアリアス


 迎えた2003年シーズン、横浜との開幕戦はエース・井川慶で敗れたものの、続く広島ヤクルトを含めた3カードはすべて2勝1敗で勝ち越し。しかし中日に1勝2敗と負け越し、少しペースダウンしたところで、連覇を狙う巨人と東京ドームで対戦する。

 初戦、4月11日は死闘となる。7対1で迎えた9回二死から星野監督の継投ミスもあり、同点に追いつかれる。延長12回に1点を勝ち越すが、その裏、再び同点となり引き分けに。選手に教えたかった野球の怖さを、巨人に突き付けられた形だった。

「ゲームが終わってホテルに戻って、みんなに『集合せえ』と言ったんだ。そのときに『申し訳ない。オレの一世一代のミステーク。これを引き分けてくれたのは感謝している。ありがとう』と謝って、これだけで終わった。みんなは叱られると思ったんじゃないかな。監督なんて、年に何回かミステークするからね。03年もそうだったけど、ことごとく選手が打ち消してくれた」

 そして、翌日の巨人戦。3回に一挙8点を奪って試合を決める。その瞬間、星野監督は、『今年は行ける』と思ったという。

「前日に負けなかったけど、あんな戦いをやって普通は引きずるところ。それが翌日のゲームで大爆発。腹の中で思ったよ、『こいつら素晴らしい』と。今までボロクソに言っていたけど、本当に見直したよね」

 そのまま続く対巨人2試合に連勝。一気に勢いに乗り、5月は18勝6敗のハイペースで2位・巨人に8ゲーム差をつけた。9日の横浜戦(横浜)では濱中おさむ、片岡篤史、アリアスが3者連続アーチ。日本一となった85年、あのバックスクリーン3連発以来の3連弾だ。

 前年、一気に首位から転落し、かつ16年連続で負け越していた「魔の6月」も15勝5敗。さらに2位と差を広げ、「みんなが6月を鬼門、鬼門とうるさかったからな。来年はもう言われへんやろ」と星野監督も笑顔を浮かべた。

 その後も好調を維持。7月8日には「49」と大きな数字ながらセ・リーグで史上最速のマジック点灯。7月終了時点で65勝26敗1分けと他球団が戦闘意欲を失うほどに貯金をため込んだ。
 8月の「死のロード」に出た途端、片岡篤史らがケガで戦列を離れ、4勝11敗と落ち込んだが、それでもマジックは順調に減っていった。

<次回へ続く>

写真=BBM
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