今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 巨人の名誉を担う2人の監督
今回は『1961年2月8日号』。定価は30円だ。今回からタイトルは表紙のタイトルではなく、主な特集に見出しにしてみた。
センターグラビアでは
吉田義男、
村山実ら
阪神選手のハンティング風景。山鳥三羽、ハト一羽、かけす三羽、もず一羽らしい。
大和球士の『パ・リーグオーナー会議』は、なぜか“推理物語”とある。読んでいっても特に説明はないが、要は「見てきたように書いた」ということか。
舞台は1月11日、博多のホテル。この年初めてのパ・リーグオーナー会議が行われた。そこでは近鉄・佐伯勇オーナーが名古屋進出構想を語り、さらに多少アル
コールが入ったところで明かしたのが、
「実はひそかに近鉄は、東京晴海に水陸両用機の発着所を作る計画を立てているんです。ここから水陸両用機を飛ばして、紀州から東京へと往復させます。成功すれば東京のファンも関西へくるし、関西ファンも東京に遊覧がてら行きます。東京関西を直結することになりますから、準フランチャイズ地として東京を指定することは当然のことになります」
さらに大毎・永田雅一オーナーからは「パ・リーグはやればやるほど人気が出る」と150試合制の提唱もあった。
球場といえば『実現しそうな屋根つき球場』の記事も。1958年3月に会見があり、以前から何度か書いている日本テレビ主導の屋根付き球場構想である。このため世界建築界の鬼才と呼ばれたフーラー博士を呼んだらしい。ハワイに巨大音楽堂を完成させた実績があるという。
この時点でドーム球場の最大の課題は5万人の観客が入った場合の熱気。そのためドームにエントツをつけたり、空気のスクリーンを作ったり……すいません、いろいろ書いてあったが、眉唾にしか思えませんでした。で、省略。
以下、宣伝。
週べ60年記念シリーズ『巨人編』が好調発売中。次回、
日本ハム編も佳境です。今回は巨人編に比べ、ややくだけた企画もあります。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM