今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 広島カープはなぜもめる
今回は『1962年12月3日号』。定価は40円だ。
ストーブリーグ真っただ中。移籍のターゲットになっている何人かをクローズアップした特集が組まれている。
まずは、
巨人の捕手・
藤尾茂。こちらは阪神から正式にオファーがあった。ケガに加え、
川上哲治監督の信頼を失いかけていたようで、62年の出場は35試合。ただ、判断は藤尾本人に任されたらしい。
水原茂監督との確執があった東映のベテラン、
山本八郎は近鉄へ。まだ球団から正式な話はないようだが、「売られるときは売られる。残らなきゃいかんときは残らなきゃいかん。そんなこといちいち気にしていたら何もできんでしょ」とすでに腹はくくっていた。
世間を騒がせていたのは、西鉄の
豊田泰光だ。これについて西鉄の西亦次郎社長の手記が載っていた。まず、巷間で噂される
中西太兼任監督と豊田の確執を完全否定し、国鉄から獲得の打診が来たことは認めながら「私は豊田を絶対に出さない」と強調している。
阪神・
青田昇コーチは11月5日に親しい記者に退団の決意をもらしたというが、これはさほど本気ではなかったようだ。
広島カープが珍しくもめている。
まず11月19日に
門前真佐人監督を更迭し、OBでもある
小鶴誠の招へいに動いたが、これに対し、小鶴への契約金が1000万円とのウワサを聞いた選手会が「新監督を外部から迎えるカネがあるなら、まず選手の待遇改善を」と声明。以後、バタバタが長期化した。
これはある意味、親会社が一本化されていない市民球団ゆえでもあった。広島の役員会は、広島の財界10社の代表で構成されており、もともと意見がまとまりづらい面があった。
こうなるともう、フロント入りしていた
白石勝巳元監督の復帰しかないか、という話になっていたようだ。
西鉄・西社長が提案した2シーズン制(修正しました)は“流産”となった。日程消化が難しいのでは、という声からだった。
ただ、何とか増収を図りたい気持ちは12球団同じ。63年からは試合数を増やすという方向になってきた。ちなみに62年は130試合で引き分けは再試合だった。
これは後日決まった話であるが、63年はセが140試合、パが150試合で引き分け再試合はなしとなった。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM