7月27日の中日戦(東京ドーム)で巨人の山口俊がプロ野球史上79人目、90度目となるノーヒットノーランを達成した。先発投手が安打を許さず、無得点に抑えて投げ切る大記録。これまでで、最も衝撃的だったのは――。 先発を告げられたのは試合当日
デビュー戦でノーヒットノーランを達成した近藤真一
1987年8月9日。本拠地・ナゴヤ球場で巨人戦を迎えていた中日が、先発ローテーションの谷間だったことが、ドラマの発端だった。
星野仙一監督は、宿敵・巨人の前にゴールデンルーキー・近藤真一を先発指名した。近藤は
金田正一と同じ愛知・享栄高の出身、甲子園で快投を演じ、前年秋のドラフトで5球団競合の末、中日が引き当てた注目の新人であった。
近藤が先発を告げられたのは試合当日だったという。
「前日に一軍昇格して、先発を伝えられたのは当日の練習後。それから試合が始まるまでの約2時間は緊張しっぱなし。すごく時間が長く感じました。初回にマウンドに上がったときはヒザが笑うくらい、すごく緊張していました。本当に初歩的なのですが、まずストライクが入るかどうかということを第一に考えていましたね。その初球、真ん中ちょっと高めのボールだったんですけど、駒田(徳広)さんがファウルにしてくれて、緊張感がスッと消えていきました。あれがボールだったら記録は達成できていなかったと思いますね」と近藤は述懐する。
先頭打者の駒田を三振に打ち取ったのを皮切りに、見る見るうちに「0」のイニングを築き上げていった。
出した走者は四球2、失策1のみ。唯一ピンチらしいピンチだった7回一死一塁の場面では、主砲・
原辰徳を三振に仕留める。
「そのとき、捕手の大石(友好)さんのサインに全部クビを振ったんですよね。そして、すべてカーブを投げて三振を取りました。この打席だけは自分の意思を前面に出して、自分の球種を投げさせてもらったので、一番印象に残っていますね」(近藤)
味方打線も、
落合博満が2本の2ランを放つなど6点を奪い、若い近藤をバクアップした。
そして、9回二死、最後の打者は篠塚俊夫を13個目となる三振に打ち取り、首位・巨人から18歳11カ月の最年少、しかも初登板でノーヒットノーランという快挙が達成された。
「打たれるなら篠塚さんだと思っていたので、最後に回ってきたときは嫌でしたね。最後のボール(カーブ)はちょっと抜け気味でした。実際にどうかといったらボールだったかもしれません。ただ、9回二死という場面で、球場の雰囲気もありましたからね」(近藤)
星野監督は狂喜、満面の笑みで近藤を出迎えた。2時間33分のというあっという間のドラマだった。
写真=BBM