今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永く、お付き合いいただきたい。 阪神・村山、復帰
今回は『1963年6月24日号』。定価は40円だ。
巨人の韋駄天・柴田勲が王貞治と2ショットながら初の表紙登場。6月10日時点で王は打率、本塁打、柴田は盗塁でリーグ最多となっている。
6月9日には
阪神・
村山昌史(実)がついにカムバックした。
前年Vの立役者でMVPにも輝いた男だが右手指の血行障害で、この年は4月20日の試合を最後に登板がなかった。
川崎での対大洋ダブルヘッダー2試合目だった。
2回二番手として村山が姿を現すと球場は大きな拍手で包まれた。
3イニングを投げ、失点なしで交代。41球だった。血行をよくするため、指を湯の張ったたらいに入れて記者の質問に答えた村山は、
「長かった。こんなに休んだことはなかったんで」
と話していた。医師には3日休養、1試合70球と言われていたらしい。
パ・リーグでは万年Bクラス、前年最下位の近鉄が大旋風。6月8日から首位南海を本拠地日生に迎えた4連戦になんと4連勝。勝率5割を確保し、3位にどっかり座っている。
別当薫監督は「みんなが力を合わせてやったからだ。全球団に5割の勝利を残したい」と語る。日生球場には連日満員のファンが詰めかけていた。
佐々木信也の対談には現役ラストイヤーの
広島・
長谷川良平が登場。200勝まで、あと3勝に迫っていた。
33歳なのに大ベテラン扱いされてる。
投球の極意について語っている個所を抜粋する。
ボールは逃げても、気持ちでは絶対に逃げない。それだけは始終考えているんです。ボール球を投げるとき、ゆるい球を投げるときもそれだけは始終考えているんです。
言葉には表せないんですが、手を持ってきて(テークバックして)、真っすぐを投げようと思ったときも、ふっと変えるときがあるんです。
シュートならシュートを投げようとしても、いやな感じがするときは、はっきりボールにしちゃう。逆にボール球を投げるときも、サインにはうなずいても、打者が打たないと思ったら、ボールを放す一つ前くらいで、すぱっとストライクにするときもあります。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM