今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 鶴岡監督とヤカン
今回は『1964年2月17日号』。定価は40円だ
国鉄・
金田正一の「プロ野球なで斬り帖」という連載があるのだが、これは毎回なかなか面白い。
今回は捕手論。金田は基本的にノーサインで投げていた。一応はサインを出させるのだが、投げる際の感覚で変えることがあるという。
ただ、さすがに「カーブのサインで真っすぐは投げん」という。
彼の考えはこうだ。
「このバッターに対して、ワシは大体こういう組み合わせで投げるということは、バッテリーを組んでいる女房役なら覚えにゃいかん。
それを覚えればノーサインでやったって平気で受けられるわけや」
最後の締めもすごい。
「だから歴代のキャッチャーで、ワシをリードしようと思った者はみんなダメだった。任されっぱなしで、ぱっとやっとるときは調子いい。しかし、ワシとやるときは任せっぱなしで、ほかピッチャーとやるときはリードせないかんから大変や。
だからワシがいる間は、なかなかいいキャッチャーに育たんね」
カネやん、恐るべし。
この金田と国鉄・
林義一新監督が衝突している。
もともと国鉄愛の強かった金田は、まるで乗っ取りをかけるような動きを見せるサン
ケイ(国鉄と資本提携)に猛反発していた。そのサンケイ主導で就任した林との対立は仕方がないか。
報道陣の前でぶつかったのは、金田がバッティングをしていた際だ。
金田はバッティングをしたり、ノックを受けたりしながら体の慣らし運転をし、ピッチングに入っているのが常だったが、これを林監督が「やめろ」と指示。金田が「なんでや」と目をむいたのだ。
ファウルボールをグラウンドに投げ返すことがコミッショナー通達で禁止になった、という記事もあった。
後方席から投げ返す際、前方席の客に当たるトラブルが絶えなかったためだ。
一時は拾った客にプレゼントとなっていた時期もあったようだが、それはそれでボールを競って拾うので危険となり、ひとまずグラウンドボーイに渡すよう、今回、コミッショナー通達として各球団、球場に出された。
ペナント奪回に向け、例年以上に張り切るのが、南海・
鶴岡一人監督。
当時の常識ではあったが、キャンプではいくら汗がだらだら流れようが、水分補給は一切、禁止。
報道陣用には、お茶が入ったヤカンがあったのだが、それに選手たちがやたらと理由をつけては近づき、こっそり飲もうとする。そのたび「やかん!」ではなく「あかん!」と親分のしわがれた怒鳴り声が飛んだ。
この中で、うまく鶴岡の死角をついて飲むのが3人。
いつの間にか飲んでいるのが
野村克也、うがいのマネで飲むのが技巧派・
皆川睦男、敏捷な身のこなしでヒットアンドウエーが、63年13勝の
三浦清弘だったらしい。
やはり一流選手は、要領もいい、ということか。それとも、このレベルの選手は親分も見て見ぬふりをしたのか。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM