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週刊ベースボール60周年記念企画

昔からあったツーシーム/週べ1964年2月24日増大号

 

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

未完の怪物渡辺?


表紙は巨人王貞治


 今回は『1964年2月24日増大号』。定価は10円上がって50円だ。

 巨人に183センチと当時では巨漢のオーバースロー投手、渡辺秀武が入団した。契約は前年途中だったが、この年からレジェンド・別所毅彦の背番号11をもらった。
 のち23勝をマークする大投手「メリーさん」だが、このまますんなりいったわけではない。それはまた、いずれ。

 規定投球回のルールも変わった。これまでは試合数の1.4倍だったのを試合数と同じにすると決めた。150試合制のパなら前ルールでの規定投球回は210。それでも63年は14人いた。

 試合数が違うが、63年最多は西鉄・稲尾和久の386回、2017年は188回の巨人・マイコラス。どちらがいい悪いではなく、少なくとも投手というジャンルは100メートル走とマラソンくらいの違いがあるというべきなのかもしれない。

 脱線ついでだ。
 この号で、東京・中西勝己が「Pitching Hints」というコーナーでシュートの投げ方について書いている。そこで普通どおりの投げ方で沈むシュートを投げる方法として、以下のように話している。
「縫い目をタテにして、その間に人さし指と中指が入る握りをすると、普通どおりの投げ方で沈むシュートが楽々投げられます」
 要はツーシームである。

 昔から“汚い握り”“坊主握り”などと言われ、縫い目にかけない投げ方はあった。

 どちらかと言えば、裏ワザのような使い方だったが、ツーシーム自体が近年、米球界から日本球界にもたらされたものではない。カットボール、インスラ、外スラもそうだが、投手は工夫し、いろいろな変化球を駆使していた。

 だから昔がすごかったと言いたいわけではないので、誤解なきよう。

 以前の記事で63年大逆転負けでV逸の南海・鶴岡一人監督の「選手にも責任がある」という発言に対し、鶴岡監督の情熱を薄れていたのではと書いたことがあるが、実際、南海の選手たちからも「敗軍の将があんなこと言ったらあかんわ。親分らしからぬ言い方や」といろいろ批判があったらしい。

 それを知った鶴岡監督は、この年のキャンプの冒頭で、
「優勝を逃した責任はお前らにもあるんや。よーく自分で考えてみい。いちいち言わんでも分かるはずや。こんどのキャンプは、そういった面の鍛錬もする」
 と宣言し、選手たちの顔を一人ひとりじーっと見渡したという。

 トレーニングは大学教授を招き、ソ連式のサーキットトレーニングを導入。指導も陣頭指揮ではなく、担当コーチに自分の意思をしっかりと伝え、あとは任せるメジャー式。練習後にグラウンドで3分間の反省タイムを作り、新人に専門コーチ(教育係)をつけるなどした。

 決して前時代的なものではないが(ヤカンは別)、どこか軍隊の組織作りのにおいも感じる。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM

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