今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 稲尾が打者転向?
今回は『1964年6月29日号』。定価は50円だ。
西鉄の大エース、
稲尾和久の打者転向説があった。
前年までの明らかな投げ過ぎもあって肩を壊し、ファームでも投球練習をせず打撃練習ばかり。時々、代打出場し、快打を飛ばしていたからだ。
もちろん、ガセだ、
当の本人は
「打者転向って、意地の悪い質問はやめてくれないかなあ。僕にはいまやってることしかすることがないから、そう思われても仕方がないが、どうしようもないんだ。それに打者になるなら、もっと猛練習をやっているよ」
と渋い顔。
パで盛り上がっていたのは5月29日からの10連勝もあって首位に立っていた阪急だ。
それまで親会社・阪急にとっていままでブレーブスと宝塚歌劇は道楽息子と道楽娘と言われていた。要は赤字ばかりで親会社を困らせていたからだ。
しかしこの年、結成50周年を迎えていた宝塚歌劇が経営的に安定してきたと思ったら、今度はブレーブス好調とあって、一気に大盛り上がり。興行収入も、まだホームゲームが去年の半分も消化していないのに、すでに倍以上になったという。
原動力は
米田哲也、
足立光宏、
石井茂雄、
梶本隆夫の四天王。
荒巻淳コーチも、
「四天王が健在な限りいまの調子が落ちるとは思わない。優勝を狙うのに十分なスタッフだ。特に4人が個性の違った投手なのが大きなプラスなのだ」
確かに米田が正統派、石井が技巧派、足立がサブマリン、梶本が左腕。なかなか強烈だ。
インタビューを受けた米田は、好調の要因の一つにマウンドの踏み方を挙げた。それまで三塁側を踏んで、インステップ気味に投げていたのをこの年から一塁側に寄せた。
それによって球の威力自体は落ちたが、アウトコースの制球が安定したことが大きいという。
西本幸雄監督も
「これからが本当の勝負どころだが、今の力を8とするならこれから10の力を出せる期待がでてきた」
と自信をもらす。
じわじわと調子を上げていた南海では、
広瀬叔功が6月11日の西鉄戦(大阪)で25試合連続安打をマーク。これは52年東急・
大下弘の24試合連続を抜く、パ・リーグ最多連続記録でもある。その後、記録は27試合まで伸びた。
6月11日現在の打率は.408。史上初4割打者誕生の可能性もささやかれ始めていた。
では、またあした。
<次回に続く>
写真=BBM