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週刊ベースボール60周年記念企画

プロ野球事件の真相、1964年編/週べ1964年11月2日号

 

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

近鉄の助っ人は別当が大嫌い?


表紙は2枚とも王貞治


 今回は『1964年11月2日号』。定価は50円だ。

 この年に起こったいくつの事件について、後日談を含め検証する記事があった。

 3つ紹介する。

 1つめ。

 10月11日、巨人広岡達朗がコーチ兼任から一選手に戻ることが発表された。

 川上哲治監督との確執からだ。表面化したのは、以前書いたことがある長嶋茂雄の本盗2回。知らされてなかった打席の広岡が怒り、ヘルメットをたたきつけ、ロッカーに引き揚げてしまった事件だ。

 川上のその後の発言が火に油を注いだ。

「あの長嶋の勝利への意欲は大したもんだ。ほかの選手を見習わないといかん」

 口が立つ理論派の広岡と寡黙な川上が性格的に合わないのは以前から言われていた。

 広岡はすでにトレード要員となっており、円滑に進めるためにコーチの肩書を外した、とも言われた。
 
 2つめ。

 6月30日の広島阪神(広島市民)で、ジャッジをめぐり2時間29分の中断でノーゲーム。その後、数千入のファンが乱入し、球場施設を破壊する騒ぎがあった(詳細は以前の記事で)。

 この混乱のもとになったジャッジをしたのが稲田審判だが、その後、辞表を提出。9月20日に受理されていた。

「毅然とした態度、根性、図太さが要求される職業です。この苛烈な世界に対して性格的に合わないと悟ったのです」

 稲田さんは第2の職業として写真家(現像業)を選んだという。

 3つめ。

 近鉄のチャックが退団。捨て台詞が過激だ。

「別当(薫監督。すでに退任決定)は嫌いだ。日本の野球にも球団にも愛想が尽きた。別当は甘言を弄して俺を招きながら満足に使わなかった。彼のような冷血動物は知らない」

 チャックは別当監督が直接口説き、来日。その際、四番での起用を確約したというが、110試合の出場にとどまった。打率.263、15本塁打、41打点はまずまずなのだが、外野守備への不安もあって。ただ、チャック自身は「俺は一塁手なら使えるんだ」とこれも不満のもとに。

 62、63年の首位打者ブルームも退団決定。こちらの別当批判も激しい。シーズン中から「別当いないと、ボク、350打てるよ、ゼッタイね」と日本語で記者に言っていた。

 争いのきっかけは、63年平和台の最終戦だ。ヒザ痛を抱えていたブルームが気の入らぬ打撃練習をしていたのを見た別当が激怒。「ゲラウェイ(出ていけ。※初出訂正)」と怒鳴りつけた。すぐさま真っ赤な顔でベンチを飛び出したブルームは、秋季練習もボイコット。64年シーズンも何かと理由をつけ、試合を休んだ。

 結局、ブルームは自由契約選手となり、南海と契約した。

 話題の大物ルーキー、山崎裕之は契約金5000万円(推定)で東京入りが決まった。当初は巨人が有力だったが、いろいろあって徐々に両者の距離が離れた。山崎はオリンピックの聖火ランナーとなったこともあり、正式発表はオリンピック閉会後となったらしい。 

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM
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