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週刊ベースボール60周年記念企画

着々と進む巨人・広岡達朗の移籍話/週べ1964年11月16日号

 

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

悲運の投手・菅原紀元


表紙は巨人長嶋茂雄




 今回は『1964年11月16日号』。定価は50円だ。

 すでにコーチ兼任を解かれていた巨人・広岡達朗が、秋のオープン戦メンバーから外された。ベテランだからではない。当時、特に巨人の秋季オープン戦は興行的な意味合い(加えるなら読売新聞拡販)が強く、広岡のような人気選手の参加は是非ものだったようだ。

 多摩川で若手に混ざって練習していた広岡に移籍の噂について聞くと、
「もし自分が自分のプレーに自信がなくなれば、巨人がいてくれと言っても。あっさり身を引くつもりだが、いまは2、3年はやる自信がある。巨人の言うとおりにしなければならないだろう。選手がチームの命令どおりに動かなくてならないことは統一契約書にも書かれている」
 ただ、
「こんな噂の中にいる僕に、監督から一声かかってもいいのではないか。それがないことが残念なんだ」
 一方、川上哲治監督は、
「広岡君について、僕は特別言うことがない」とダンマリを決めている。

 球団取締役・正力亨は「検討中です。ただ、いまの巨人軍の方針は長嶋(茂雄)、王(貞治)以外はすべてトレード要員です」と噂を否定しない。
 立大の遊撃手・土井正三の獲得が決まったことも影響していたのかもしれない。

 優勝した阪神もバタバタしている。土井垣武ヘッドコーチが突然の解任となった。打撃不振の責任を取らされたとも、村山実との確執が原因とも言われるが、真相は定かではない。

 おそらくだが、週べで初めて「ドラフト」の文字が入った記事があった。
 10月27日、プロ野球実行委員会でのセの鈴木龍二会長の発言だ。
ただし、これは新人ではなく、各球団シーズン後、選手を25人から30人プロテクトし、それ以外の選手たちを各球団でドラフト(選抜)していこうというシステムだ。

 これに似た案は過去幾度となく提案され、立ち消えになった経緯がある。今回も難しいのでは、と結ばれていた。

 11月2日のオープン戦で復帰した東京・菅原紀元を紹介する記事もあった。
 1962年に12勝を挙げた右腕だが、翌年のキャンプで打撃投手をしていた際、ライナーを頭部に受け、気絶。そのときは打撲と診断されたが、7月になって突然発作が起こるようになった。しかもケイレンの後、気を失うほど壮絶なものだ。それが何度となく、菅原を襲ったという。
 結局10月になって開頭手術でリンパ液の塊のようなものを除去し、回復したらしい。

 ただ、この記事、時系列がおかしく、61年に12勝を挙げ、打球を受けたのは62年春季キャンプとある。記録を見ると菅原の12勝は62年で間違いないので、おそらく誤植であろうと修正して掲載しておく。
 菅原は結局、64年以降の登板はなく、そのまま引退となったようだ。
 
 最後小ネタを1つ。
 広瀬叔功のあだなと言えば「チョロ」。足が速く、チョロチョロしてるからかと思っていたが、本人の話によれば、実際には出身の広島弁の語尾「しちょる」から「チョル」と呼ばれるようになり、いつの間にか「チョロ」になったという。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM

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