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週刊ベースボール60周年記念企画

アグリーの悪妻/週べ1965年6月28日号

 

 今年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

鶴岡一人監督、通算1500勝


表紙は左から南海・林俊彦野村克也



 今回は『1965年6月28日号』。定価は50円だ。
 南海・鶴岡一人監督が6月11日に通算1500勝を達成。2位に大差をつける大独走で早々と優勝間違いなし、とも言われていた。
 
 これを記念し、通算1200勝を超えていた東映・水原茂監督との対談があった。そこで水原監督が巨人監督時代、55年の日本シリーズでの逸話を明かしていた。
 巨人が1勝3敗から逆転で日本一になったときだ。

「当時の恒例で試合が終わった後、新聞記者同席でお互いの翌日のメンバーを発表していた。それでこちらは3敗したし、向こうの投手は誰かと思っていたが、発表する順番はこっちが先。ツルさんに聞いてから変えるわけにはいかん。ただ、部屋に行ったら先に彼がニコニコして『今度だけはいただきましたわ』って(笑)。
 それで向こうからメンバーを発表した。僕はいまだから言うが、しめたと思って、そのメンバーを見てからこっちのメンバーを決めた(笑)。あのときと比べて、いまのツルさんを考えたらもう偉い違いや。ずるくなってる」

 これに鶴岡さん、「ワシは気がええし、おっちょこちょいだからね」と笑顔。
 親分らしからぬ微笑ましい逸話だ。

 アグリーの悪妻の話もあった。62年に大洋入り、この65年は西鉄に移籍し打撃好調を維持していた選手だ。ハワイ出身でサモア系だったのか肌は褐色だったが、夫人は白人だった。

 大洋から移籍となったのは、64年の打撃不振からだったが、加えて三原脩監督が試合中、居眠りをしてしまうアグウィリー(大洋時代の登録名)にサジを投げたとある。

 ただ、これはすべて気位の高い白人妻のせいだったらしい。家でのアグウィリーは試合があろうがなかろうがお構いなしに食事の支度、洗濯、子どものお守り、買い物すべてやらされていた。
 球団もそれを知って夫人に注意したようだが、いっさい聞かず。そのまま事実上のクビで西鉄移籍が決まった。

 夫人とは、この移籍の際、もはやこれまでとハワイに残した。
「奥さんとは別れて、子どもをもらいます。それにはたくさんおカネいります」
 とたどたどしい日本語で説明していた。

 入団会見で川崎球団常務は「アグウィリーじゃややこしかけん。うちではアグリーにしました」とかなり雑なネーミング。本人は「醜い(ugly)」とも聞こえると、この名前を嫌がったようだが、クビ同様から拾ってもらった身。黙っていたらしい。

 6月9日、パ・リーグの中沢不二雄会長が脳出血で急死。12日の葬儀では母校の明大から応援団が参列し、「白雲なびく」を斉唱した。

 あすから1月6日まで担当者、正月休みで長期休載します。
 2019年はもはや「週べ60周年記念企画」とはいけませんが、せっかくなので、もうしばらく続けてみようと思います。
 いまさらながらですが、これがまだ通算381号。今日発売の「週べ」は、すでに3560号ですから、間違いなく、未完のまま担当者は定年になります。
 できるところまででご勘弁を。

 では、また来年。

<次回に続く>

写真=BBM
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