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名門・青学大再建に挑む熱血漢。母校野球部にすべてを捧げる安藤監督

 

2014年秋を最後に二部へ降格


今春から青学大を率いる安藤監督は、母校への愛着が強い熱血指揮官である


 指導者の熱意一つで、すべてが変わる。1月6日から監督として青学大を指揮する安藤寧則氏(41歳)は母校野球部にすべてを捧げている。相模原キャンパス内にある野球部合宿所で寝食をともにし、学生と対話を重ねる中で、名門再建へと動き出している。2月3日、今年4月に入学する新1年生を加えて、全4学年62人の部員の前でこう言った。

「一部復帰、そこはブレない。判断に迷ったときも、根本があれば、自ずとそこ(一部復帰)を見る。それ(一部復帰)があるから(すべてを)譲れない」

 青学大は東都大学リーグ優勝12回、全日本大学選手権4回の優勝を誇る名門校だ。しかし、一部と下部組織の二部による入れ替え戦がある「戦国東都」にあって生存競争が厳しい。青学大は2014年秋を最後に二部に降格し、昨秋まで4年間、二部に低迷している。

 在学する部員で「一部」を知る者はない。一部では「学生野球の聖地」と言われる神宮でのプレーを約束されるが、二部は首都圏の球場を転々。注目度も決して高いとは言えず、華やかさは一部とは「天と地の差」である。

 安藤監督は岡山県出身。桑田中時代は岡山市大会を制し、強打の一塁手兼外野手として活躍した。岡山理大付高、関西高の強豪私学のほか、岡山東商高と古豪からの誘いもあったが、「家庭の事情として進学校志向があった」と、野球も勉強も全力を注げる岡山大安寺高へ進んだ。

 高校3年時、当時、筑波大に在学していた田野昌平氏が(のち玉野光南高監督)教育実習に訪れた。実は安藤氏はほかの東都の強豪校へ進学する選択肢もあったが「青学のほうが合っている」との助言を受けて、方向転換。夏の県大会敗退後から猛勉強を重ねて、一般入試を経て青学大に合格した努力家だ。

 安藤氏が大学入学時の4年生は主将・井口資仁(現ロッテ監督)を含めて計4人がドラフト指名を受けた黄金メンバー。当時は1学年約10人の少数精鋭で、安藤氏のような一般入試組は珍しかった。レベルの高さに戸惑う日々で、25人のベンチ入りも難しかった。

 輝くのはプレーヤーだけではない。安藤氏は1年時から「学生審判員」として東都二部の塁審を担当。青学大は前述のように部員が少なく、それまで審判員を派遣できなかったため、安藤氏が「第1号」であった。リーグ戦でのジャッジを終えて合宿所へ戻ると、河原井正雄監督(当時)やチームメートからの「ありがとう!! お疲れさま!!」の言葉が励みとなり「もっと、頑張ろう!!」と裏方の仕事に対して、さらに真摯に打ち込むようになる。

青山学院高等部で20年指揮


 捕手としてベンチ入りを目指していた3年生の9月、突然、河原井監督に呼ばれた。青山学院高等部(東京)からの依頼により、安藤氏が監督に就任した。安藤氏にはかねてから将来の夢として指導者があり、河原井監督も真面目な性格の安藤氏への信頼が厚かった。

 安藤氏は午前中、大学の練習に参加し、夕方からは高校生を指導。2年生左腕・石川雅規(現ヤクルト)を擁し、3度目の大学日本一を遂げた4年時は学生コーチとして、一塁コーチに立った。高校と大学の「二刀流」という、多忙のキャンパスライフを過ごしている。

「この生徒たちと、一緒にやりたい」

 高校野球の監督として、毎日接する球児への愛情が芽生えるのも自然な流れ。学生審判員から卒業後は一般企業に勤めながら、OB審判員を継続する道もあったが、安藤氏は指導者としてのやりがいを河原井監督へ伝えた。すると、さまざまなタイミングも重なり、大学職員として採用される道筋ができたのだ。

「青山学院のために尽くさないといけない」

 誰よりも早く学校に来て、業務(総務部)をこなして、授業後は生徒と全身全霊で向き合った。

 昨夏まで20年、青山学院高等部を率いた。実は数年前にも退任する意向を固めていたが、教え子からの強い慰留により踏みとどまった背景がある。しかし、今回ばかりは、ユニフォームを脱ぐのには、理由があった。

「長男として、腹をくくるのが遅かった。家業をしており、岡山に帰ることを決めていました」

 数々の栄光を刻んだ河原井監督は、二部に降格した14年秋限りで勇退。しかし、3年間、二部から抜け出せない現状を打破するため昨年、4年ぶりにカムバックしたが、一部への壁は高く、1年限りで退任している。そこで、新監督として就任の打診を受けたのが、大学職務に専念していた安藤氏であったのだ。

「何度も断りました。最終的に父へ相談すると経営者の視点から『お前に白羽の矢が立ったのだから、大学側にも事情があったのだろう。分かった。思う存分、やってこい!!』と」

選手の一番の応援者


 とにかく、学生目線である。

「一番の応援者でありたいと思っている。彼らは私の後輩でもあるわけですから。環境整備が第一です」

 就任早々、消耗したケージのネットを張り替えて、キレイに塗装。ピッチングマシンもそろえ、合宿生活においては業者との折り合いをつけて、食生活の改善にも着手した。

「根拠がないことは嫌い」と、安藤氏は関係各所に事情説明へ回り、理解を得ながら部再建への取り組みを始めている。すべては「一部復帰のために必要」と訴えている。部員に対しても「納得できるまで、根気よく話します。説明責任を果たさなければいけない」。

 学生の一番の「応援者」が安藤監督ならば、安藤監督の周辺には「支援者」がたくさんいる。1学年先輩の中野真博氏(元東芝投手)、同級生で主将だった四之宮洋介氏(元日産自動車内野手)が旧体制に引き続いて「安藤が監督なら!!」と、アドバイザーとして最大限の協力を惜しまないという。

「(監督就任を)引き受けて良かったと思っています。幸せだったと思ったのは、周りに恵まれているということ。職員からも『応援するから!!』と。ありがたいです」

 表と裏がなく、自然と人が集まってくるキャラクター。その熱血漢は必ず、学生に伝わる。誰よりも母校・青学大を愛する安藤新監督の下で、名門復活への道を一歩一歩、突き進んでいく。

文=岡本朋祐 写真=BBM
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