昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 巨人・王貞治が婚約発表
今回は『1966年1月17日号』。定価は50円だ。
1月6日、新春とあって、のんびりムードだった
巨人球団事務所が突如、バタバタし始めた(とはいえ、船田和への西鉄へのトレード通告など、午前中は殺伐ムードがあった)。
どうやら、
王貞治が婚約を発表するらしい、という。
王が6年前から交際していた小八重恭子さんを両親に紹介したのが12月21日、その後、両家の間で話し合いがもたれ、1月8日に発表の予定だった。
しかし6日の朝、情報をつかんだM紙が王を直撃。担当記者に、婚約の場合、各社共同取材を約束していた王は、その場は、知らぬ存ぜぬで通したが、すぐさま会見の準備。21時10分からの会見となった。
2人は王がプロ1年目の19歳、恭子さんが15歳のときの出会い。多摩川の恋とも言われた。
しかし……だが、この号には、翌日から2人の
川上哲治監督らへのあいさつ回り、さらには恭子さんの赤ちゃん時代からの写真が何ページも並ぶ(指摘有修正。すいません)
個人情報なんて言葉もない時代だった。
年末に1リーグ制のためなら球団がなくなっても、と発言した近鉄・佐伯勇オーナーだが、新春の近鉄本社部課長会議で、
「今年はAクラス入り、そして来シーズンは優勝してサンフランシスコに行こう!」
と宣言した。2年連続最下位だけに、やや空虚な言葉ではある。
実は現在、30億円をかけ、サンフランシスコにトレーディングセンターを建設中。67年7月が完成予定で、そのシーズン後の落成記念式に近鉄ナインを呼ぶつもりだった。
その際、日本のチャンピオンチームと紹介できれば、必ず全米の大きな話題になるという考えだった。
全額が近鉄の出資かどうか分からぬが、さすが日本一の私鉄・近鉄、そしてその“天皇”と呼ばれる佐伯オーナーである。
前年オフ、トレード志願をしていた東京・
榎本喜八。「なんとしてもトレードを」と強硬姿勢で、師匠・
荒川博関係で巨人入りがウワサされたが、1月6日、球団代表と話し合いで「私が間違っていた。今年も東京でプレーさせてほしい」と申し出、無事残留となった。
巨人入りが暗礁に乗り上げたからだろうか。
では、また月曜に。
<次回に続く>
写真=BBM