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週刊ベースボール60周年記念企画

年俸はピンからキリまで/週べ1966年1月31日号

 

 昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。

2つの移籍裏話


表紙は巨人王貞治



 今回は『1966年1月31日号』。定価は50円だ。
「ピンからキリまで」と題し、選手たちの年俸特集があった。全体的には、戦後最大の不況と言われる中で野球選手の年俸はなぜ上がるのか、という否定的タッチが目立つ記事だった。

 まずセ、パのトップ3を紹介しておこう。
 セは1位が金田正一(巨人)2100万円、2位が長嶋茂雄(巨人)1980万円、3位が王貞治(巨人)1800万円と、やはり日本一の巨人が強い。
 巨人は前年65年の総人件費が2億5000万円と言われたが、この年は1億円は確実に増えただろう、という。65年に3億5000万円の純利があった巨人ならではの大盤振る舞いだ。

 792万円を保留し、「もう日本には来ない」と言って帰国した阪神のバッキーは、アメリカら手紙をよこし、「同じサラリーでいいから、来年もプレーさせてくれ」と書いてきたという。

 パは1位が野村克也(南海)の1560万円、2位が小山正明(東京)の1440万円、3位がスペンサー(阪急)の1440万円。なお、野村は1800万円を球団に要求し、保留中である。

 当時のプロ野球選手の最低月給(年俸ではない)は3万円ほどだったらしい。

 1月8日には、62、63年と2年連続20勝超を果たした中日柿本実の阪急入りが発表された。柿本は怒りの表情で、
「暮れに15パーセントダウンで判を押したのは、トレードは絶対ないと言ったからだ。俺は中日に騙された。こうなったら野球をやめて名古屋で商売でもしようかと思っている」
 と語った。
 もともと首脳陣との折り合いが悪かった柿本。さらに新人補強費が想像以上にかさんだこともあっての放出だったようだ。
 
 以前書いた東京・榎本喜八の移籍話も出ていた。少しダブるがもう一度書いておこう。

 発端は前年の12月25日、球団事務所に現れた榎本が突然トレードを球団に志願したことだ。
 記者たちに理由を聞かれ、
「時期だ。俺はもう東京にいるべきではない。チームのため、自分のためにね。自分はこの11年間、自分なりの信念で野球をやってきた。いまさらそれを変えるわけにはいかない」
 と何やら意味深なセリフを言った。
 これは山内一弘葛城隆雄と次々毎日オリオンズ系の選手が放出されていく中で、次は自分と覚悟。「ほかのチームで心機一転やりたい」となったらしい。

 これに怒ったのが永田雅一オーナーだ。
「なんたるわがまま。昨年十年選手のボーナスを払ったとき、この分は、ことしやって恩返しにすると言ったじゃないか」

 また、榎本はかつての師匠・荒川博巨人コーチに巨人入りを頼むつもりだったようだが、その荒川が、
「よく考えてみろ。オリオンズはお前がいなかったらどうなる。永田会長が怒るのもお前を思ってのことだ」
 と説得。1月6日、自ら大映本社を訪ね、残留を伝えた。

 巨人は正力亨オーナーがメジャー・リーグに学び、組織改革を実行中。二軍コーチにドジャースのマイヤースコーチを招へいし、春には藤田元司コーチ、牧野茂コーチをドジャースキャンプに派遣することを発表した。
 ただ、やや独走気味らしく、川上哲治監督との確執もウワサされていた。

 では、またあした。

<次回に続く>

写真=BBM

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